人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

人は楽を求めるのか、苦労を楽しむのか

小生は車の運転が大好きで、いくらでも運転したいと思っていた。

ところが、先日購入した車に、半自動運転機能が付いていたので使ってみると、これがもうやめられない。

 

まだ高速道路での利用に限られるのだが、もし車に乗り込んでから降りるまで、全く運転しなくて良くなったら、そりゃ楽に違いないと思う。

「あれ?実は運転が面倒だと思っていたのか?」という考えすら頭をよぎる。

 

一方、こんなご時世ではあるが、計画だけなら自由なので、「ああでもない、こうでもない」と旅行の計画を立てる。

面倒だが、それが楽しい。

 

よく、「AIが好みや属性を読み込んでレコメンドする未来」みたいな話題が出るけれど、旅行において「いつからいつまでここに行き、これを食ってここに泊まって帰れ」というお勧めがされたとして、それに乗るのか、乗ったとして旅行の楽しみは充分堪能出来るのかというと、ちょいと怪しいんじゃないかと想像する。

その時は楽しいかもしれないが、心に残らなさそうなのだ。

 

運転を楽しんでいるようで実は楽をしたい心理と、楽をしたいようで実は旅行計画の手間を楽しんでいる心理。

より楽をしたいという心理は普遍的なので、その方向のサービス開発はありうるとしても、なんでもかんでも楽にすれば良いわけでもない。

 

消費や体験の範囲をどこまで置くか、という議論でもあると思うが、あえて苦労をさせるという方向のサービス開発も、ちょっとありだと思う。

上手く作り込めれば比類無いものにできるような気がするし、「より楽に」という方向は、金とテクノロジーを持つ相手に勝てなさそうな予感がするし。

 

思いつきなのだが、今日のエントリーを頭の片隅に置いておく。

まぁ、ご参考ということで。