人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

大企業こそ副業解禁で

人生100年時代の本質は、生活費を賄うための気力・体力・経済力が長く求められるようになった、というかと思う。

先輩世代は、人生はフルマラソンで42.195㌔走れば引退と言われていたものが、我々はレースの途中で50㌔、いや100㌔のウルトラに変更すると言われているような感じか。

 

もし本当にランニングでそうなったら、ペースを一気に落とさなきゃ走りきれないんだけどね。

それはそれで一つの示唆ではあるのだが、退職金をもらって引退と決められない以上、なんとか働き続ける算段を作らなければならない。

 

思わずこんな本をまた読んでしまう。 

 

この本ではライフプラン、マネープランなど、幅広い計画の立て方が掲載されているのだが、仕事に関しては、時間をかけてコツコツと独立できる計画を立てることを推奨している。

小生も始めるなら早い方が良いだろうと思う。

 

特に大きな会社のサラリーマンは、直接お金を生まない仕事に携わりすぎている。

しかもそれが長く続いてしまうものだから、会社が出ていって欲しい歳になっても、外で生きていく術がないから出ていけない。

 

余生を過ごし切れる退職金や年金が貰えるなら、人生を捧げるに値するとは思うが、そこまでの待遇が得られないのに放り出されるのだとしたら、ちょっと刑務所に近い。

副業を禁止して自由を拘束するなら、なおのこと。

 

会社と個人の良い関係を維持する意味でも、ほどほどの年齢になったら独立を促していけるように、副業は解禁してあげた方が良いと思うのだが。

解禁するだけでなく、支援体制やちょっとしたインセンティブも必要だとは思うけれど。

 

まぁ、ご参考ということで。

性善説・性悪説

良い組織とは何か。

今も研究が続く問いである。

 

小生なりに思うところはある。

ビジネスの世界で言えば、「バカでもできる完成されたビジネスモデルを、賢い人間でモチベーション高く取り組む」という組織が最強。

 

殆どの大手企業は、「そこそこ賢くないとできないビジネスモデルを、そこそこ賢い人間がほどほどのモチベーションで取り組む」だと思うけど。

もう一つ、組織にまつわる制度設計という意味では、「性悪説で制度を設計し、性善説で運用する」という考え方が、あるべき姿だと考えている。

 

これは昔の同僚から教えてもらった考え方で、その通りだと思って大事にし続けている。

性悪説で」というのも、実は愛情だ。

 

人間は弱いものなので、ガバガバなルール、「誰も見ていない」状況を用意してしまうと、大して悪気なくルール違反をしてしまうメンバーを増やしてしまう。

信じている仲間を悪者にしてはいけない、そのための性悪説

 

そうした、あまり悪いことができないようになっている制度を作った上で、仲間を信じて運用していくのが性善説

制度が性悪説になっている場合、何も考えずにメンバーと向き合うと、なんとなく性悪説に引っ張られるところがあるのだが、そこを意思を持って性善説で臨むという、これもまた愛情。

 

より良い組織を生み出し、良い人材を集めるには、不断の努力を要する。

こんな本も参照されたし。

 

組織開発の全体像と概略を説明した、まさに入門書で、この本を入り口に興味ある分野を深めていただければと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

チャレンジが無くなったら辞めどき

転職を沢山しているので、よく人から「次はどこに行くんですか?(笑)」「今の会社はもう2年ですか…そろそろ次ですね?(笑)」など、ネタ的によくイジられる。

そんなにちゃんと考えているわけじゃないんだよ(笑)と思いつつ、よく聞かれるものだから、聞かれたら何と答えようかとシミュレーションしてしまう癖がある。

 

自分が転職のアドバイスをする時、必ず「次の次を考えて転職先を考えろ」と言っているくらいなので、今の会社に入る前にイメージしていた「次のステップ(=次の次)」は存在する。

一つにはそこに近づいているかどうか。

 

もう一つ、成長の実感がなくなった場合も、考えどきだなとは思っている。

もちろん、今いる組織でチャレンジする機会は常に求め続けるわけだけれど、そこはやはり組織のニーズと個人のニーズが噛み合わないこともある。

 

またこの歳になると、いつまでも権力のあるポジションにいてもダメで、そこそこのタイミングで若手に譲らないとな、とも思う。

同じことを繰り返して、道を譲らないオッサンほどカッコ悪い存在もあるまい。

 

なので、常に新しいことにチャレンジできる気力と体力とスタンスを持っておきたいと思っている。

ってなことが、こちらの本に書いてある。

 

変化を起こせない個人や組織は、優秀な若者から見捨てられちゃうよね、ほんと。

 

まぁ、ご参考ということで。

リーダーとは仲間を増やせる人

新規事業開発でも、普通の仕事でも、何か仕事と離れた活動でもいいのだが、その中において「リーダー」とは「仲間を増やせる人」だと思っている。

長年携わってきたので新規事業開発で例えるが、新規事業開発を任される人の中には、取り組むべきアイデアを一生懸命考え、さまざまな角度から検証をし、会社の意思決定プロセスをクリアできるカッコいい資料にまとめ上げることが自分のタスクだと思っている人が居る。

 

小生はちょっと違うと思う。

たとえ「あなたが専任者として考えるのだ」と言い渡されたとしても、一人で完結する事業などあり得ないのだから、「ヨーイドン」の瞬間から、「さぁ、誰に手伝ってもらおうかな」「誰に聞きに行こうかな」という発想が正しい。

 

どんなに凄い人でも、全てのタスクを一気に最速でやり切るのは不可能。

だから仲間を増やして、それぞれの得意分野に集中してスピードを上げる。

 

どんなに凄いアイデアでも、思った通りに受け入れられない、実現に課題があるなどの紆余曲折は必ず起きる。

一人ではその紆余曲折を、一つ一つ順番に片付けて行くことになるが、仲間がいれば並行して潰すことができる。

 

そうやって仲間を増やす行動がリーダーシップであり、それが出来る人がリーダーである。

ここで、留意しておくべきことがある。

 

組織上の役割や立場で多くの人を動かすことができても、それはリーダーシップではない。

多くの人が協力し、仲間になってもいいよとなるためには、それに値する大義・ビジョンと、リーダーの情熱が必要だ。

 

しかし、リーダーが全てのテーマについて情熱を持てるかというと、そこは人間なのでムラがある。

職業的なリーダーとなる人は、そのムラを極力減らして全体に底上げする努力が必要だろうし、逆に情熱を燃やせる分野にフォーカスすれば、誰もがリーダーになれる、ということだ。

 

つまり、「誰もがリーダーになれる可能性はあるが、常にリーダーシップを発揮できるわけではない」ということ。

発揮しているように見えても、それは役割や立場でそうなっているだけで、そういうチームはパフォーマンスやスピードが上がってこない、というのは良くある話。

 

リーダーであることを求められている人、リーダーを発掘したい組織にとって、大事な視点なんじゃないかと思っている(自戒を込めて)。

まぁ、ご参考ということで。

 

良いお店の条件

それこそコロナ前はしょっちゅう飲みに行っていたが、非常事態宣言を経て、やっと最近月に一度二度という感じで再開するようになった。

で、お店を探してみると、よくお邪魔していた店が閉店していたりと、非常に残念である。

 

いや、小生が店の良し悪しを論ずるのは傲慢だと普段から自戒しているし、若い頃に一人親方のレストランの裏方に出入りしていた経験から、皆さん大変な苦労をして切り盛りしていることを理解しているつもり。

その上で、自分は店にとって良い客か、相思相愛の関係になれそうか、という意識を持ってお邪魔することにしている。

 

相思相愛っていうのが大事なポイントなんだろうなと思っていて、片想いだとどちらかが一方的に奉仕するわけで、そんな関係は長く続かない。

客にとっては都合がいい店でも、お店側に無理があれば維持できないわけで。

 

先日閉店したお店は、非常にコスパが良く、個室も多くて使い勝手が良かったので、好きなタイミングに好きなように使わせてもらっていた。

「こんな気前のいい商売してて続くのかな」と思っていたが、アップセルもしてこないし「もっと来て」という勧誘もなく、それでも激戦区の銀座で良くサバイブしていたと思うが、残念ながら閉店となってしまった。

 

やっぱり良いお店って、アップセルが上手で、ちょっと予算オーバーだけど店がお勧めするならまあいいか、みたいな感じで客としての自尊心をくすぐってくる。

それで店が存続できるなら、それこそ相思相愛。

 

お店とお客の良い関係。

 

こんな本を読んで、改めて考えてしまった。

新規顧客の開拓より既存顧客の深掘りが有効というのは昔から言われていたことなのだが、これからはその流れがますます加速する、という話。

 

さて、自分の仕事ではどうなのかなと、考え込んでみたり。

まぁ、ご参考ということで。

才能との向き合い方

昨晩は娘に「モンスターズ・ユニバーシティ」を観せる。

モンスターズ・ユニバーシティ(吹替版)

モンスターズ・ユニバーシティ(吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

あんまりネタバレになるのもアレなんだが、この映画で言いたいことは、たとえ何かの夢を諦めなければならなかったとしても、必ず違った才能を活かす場があるよ、ということかと思う。

この映画を観るたびに、「自分の諦めなきゃならなかったことって何だったかな」「活かせている才能って何だろうな」と思う。

 

「諦める」というほど一生懸命何かを好きになったことが無いような気がする。

大学受験を一定の充実感で終えて、「もっと上の大学に行けたんじゃないか」と思いはしたものの、一年前に遡れるとしたらもっとやれたかと考えると、それはなさそうだと感じて決着した。

 

あの時に、勉強は続けるけれど「勉強の出来る出来ない」で勝負するタイプでは無さそうだな、というのは理解した記憶がある。

そこから先は、その時その時のベストを追求するというスタンスで通してきたかと思う。

 

必ずしも上手くいくことばかりではなかったし、裏を返せばビジョンなくジタバタしてきたということなのだが、今それなりにやれているのは、自分なりに活躍できる方法論を掴めたんだということなのだろう。

自分の娘がどんな才能の活かし方を持って人生を切り開いていくのか、楽しみである。

 

まぁ、ご参考ということで。

記憶力があやしい

最近人の名前が思い出せないとか、そういう話ではないのだが。

「雑学王」のあだ名を貰ったこともあるので、忘れっぽいわけではないはず。

 

ただ、覚えていることと覚えていないことの傾向というのがあるんじゃないかと思っている。

自己認識としては、「へー」と思ったことは割と覚えている。

 

キーマンにインタビューした時に聞いたビジネスの苦労話とか、「実はこんなところに秘訣が」みたいな話。

昔のボスは「『実は』話」とよく言っていたけれど、そういう話は覚えている。

 

逆にそんな「へー」がない話については、とことん忘れてしまい、自分はヤバい人なんじゃないかと思うことがある。

妻と会話をしていると、小学生時代の話とか、自分の親とのエピソードも含めて「よくそんなこと覚えているね」と感心するのだが、裏を返せば小生はほとんど覚えていないということだったり。

 

年間100冊以上本を読んでいるが、やっぱり「へー」があれば内容を(一部だが)覚えているし、それがないと読んだことすら忘れてしまう。

結局、記憶しておける容量には限りがあって、人による容量差も誤差の範疇だけど、その人にとって残りやすい記憶がどんどん上書きしていく、ということなんじゃないかと思う。

 

たくさんの「へー」で上書きして、そうでもないものをどんどん捨てていく人生というのは、それはそれで良いものだと思うのだが、なんせ記憶力というのはあんまり当てにならないあやしいものだ。

まぁ、ご参考ということで。