人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

頭がいい人は何をしているか

積読在庫消化。

 

細谷功先生は真剣に「頭がいいとは何か」を探求しているんだろうなぁと、つくづく思う。

アナロジーとは「類推」ですね。

 

例え話と言っても良いのだけれど、単なる例えというレベルを超えて、厳密に運用し、弊害を避け、イノベーションに至るまでの方法論を詳細に解説、提唱してくれている。

おお、相変わらず凄え本書くなぁと唸らされる。

 

表面的な類似性だけではなく、構造的な類似性、本質的な類似性を見極めるには?

また類似性の距離感をどの程度でとっていくか。

 

この本に書いてあることをちゃんと理解して実践できれば、ホントに頭のいい人になれると思うよ、と心から思うのでした。

いや、勉強勉強。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

知らないことをスルーするな

職場に新たな若手が異動してきましたよ。

異動して出ていく別の若手から引き継ぎを受けて、早速がんばってもらってます。

 

彼:「昨日は〇〇宛の支払い業務を行いました」

私:「〇〇って何するところで、なんでうちの会社はそこにお金払ってるか知ってる?」

彼:「・・・(苦笑)。」

 

ま、そんなもんですわ。

前任の別の若手にも理解してなかったから単純作業として引き継いだんだろうし、その別の若手に理解させていない、そして目的も引き継ぐよう指示してない、小生の落ち度だしね。

 

でもさ、支払い処理やってて、何百件もある営業セクションでもなく、月に1件あるかないかの企画セクションの請求書で、相手先の社名なり団体なりが知らないところだったら、「何やってるところなんだろう?」「それもこんな金額払うなんて、なんのためだろう?」って思わないものかねぇ。

私は調べましたよ、そりゃ承認する側っていうのもあったけど、何やってるか理解しないまま仕事すること自体が気持ち悪いじゃない?

 

それを調べるだけで、実は業界構造の深淵が伺えたり、別の業務で経験したこととつながったりするんだけどさ。

たかだか一件の支払い処理でも、その背景や目的まで理解しようとするか、ただの作業としてこなすか、理解と成長の差は凄い勢いでついちゃうよねぇ、って改めて思い知らされるのでした。

 

こわいこわい。

まぁ、ご参考ということで。

大人の成長

積読在庫消化。

 

成人発達理論というらしい。

人材育成についてモヤモヤしていた点について、一つの見識を与えてくれたので、とても面白かった(もう一回読んでいる)。

 

一番なるほどと思ったのは、大人の成長には水平と垂直があると。

水平は所謂スキルアップで、本書で扱うのが垂直的成長で、まぁ人格的成長と言って良い。

 

第一段階は子供のレベルで、抽象度が高い思考ができるようになるか。

第二段階は利己的、道具的(人を道具のように扱う)段階。

第三段階は従属的段階というか、指示をしっかりこなすが主体性に乏しい段階。

第四段階が自己の価値観で主体的に動く段階。

第五段階は自己の価値観を脱構築し、常に構築と解体を繰り返し成長を続ける段階。

 

ってな感じ。

彼・彼女はどの辺だろう、上の次元に上がってもらうには、みたいなことを思わず考えてしまう。

 

殆どの人が第三段階だし、成長すればみんなハッピーとは限らないということにも言及がある。

発達段階は綺麗に切り替わるのではなく、時と場合によって「重心」の移動もある。

 

そんなこともあるらしい。

勉強になる。

 

それはともかく、本書はコーチとサラリーマンの対話という形式で進んでいくので読みやすい。

が、「おうむ返し」が多いのと(まぁ強調したいのだろうけど)「(笑)」が多いのがちょっと気になるけど…。

 

改めて読み返したいというか、成人発達理論をもう少し深掘りしたい。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

詰め込み教育の、その先へ

積読在庫消化。

 

Kindle日替りセールで買ったんだろうか。

畑村氏は日本における失敗学の開祖&権威。

 

元祖の失敗学は読んだのだろうか。

著作そのものは初めてではない気がする。

 

本書に関しては、日本はなぜダメになったのか、詰め込みエリート教育がダメにしたのだ、だからこうあるべきだ、という話をエッセイ的に展開していく感じである。

研究ではない。

 

色々見てきたけど俺はこうなんじゃないかと思う。

そういう本。

 

まぁ、そうかなぁとも思うけれど、どちらかというと、詰め込みの学校の勉強で止まっちゃってるのが問題なんじゃなかろうか。

完成された組織を先人が作り上げてしまったので、学校を卒業して組織に入ったら、その考えに染まることが求められ、結果それ以上考えなくなる。

 

小生はそれが問題なんじゃないかと。

中国のエリートだってバリバリ詰め込みだし、欧米のエリートもある程度(少なくとも日本と大して変わらない程度には)詰め込みなはずだけど、卒業後も厳しい競争を繰り広げてるんだよね。

 

アメリカはその集金力で世界中の賢い奴とバイタリティのある奴を集めているわけで。

正直、学習指導要領の問題ではなく、力負けなんだと思っている。

 

組織が新たな人材を育てられなければ、学習指導要領をいじくりまわしたって負け続けると思うんだよね。

まぁ、ご参考ということで。

読み物、良い本、普通の本

積読在庫消化。

 

Kindle日替りセールで買ったんだと思う。

FBIで内部監査なんかもやってた人のビジネス書、ということなのかなぁ。

 

主張としては規律とか精神的な部分の大事さを主に語ったものになるけれど、それはそれでまぁ大事なんだが、あれこれ出てくるエピソードがやっぱりそれなりに面白い、という印象。

911テロとか炭疽菌事件とか二重スパイとか、そりゃ普通に興味深いよね。

 

なので、仕事術として役に立つかどうかというと、そういうタイプの本ではないと思う。

読み物としてそれなりに読ませるけれど、定価で買うというよりは古本か図書館で借りればいいかなと。

 

ところで、年間に百数十冊も本を読んでいると、感心されることが多いのだが、感心する人たちが知らない事実として、百数十冊のうち大半が「読んでも読まなくても大差ない本」ということなんだよね。

Amazonのレビューが星四つ、できれば四つ半以上を足切りラインにして読み続けていても、非常に良かったという読了感があるのは10%あるかなぁ、というところ。

 

殆どの本が「読んでも読まなくても大差ない」。

せいぜい、雑談の時のネタが増えるくらい。

 

もちろん、そうやって読み続けるから、良い本に出会えるんだけどさ。

世の中そういうものなのであって、良い本だけ選んで読む、なんていうのは幻想なんだよね。

 

まぁ、ご参考ということで。

アイデンティティが揺らぐ時

武術研究。

 

いや、タイトルほど大袈裟な話じゃないんだけど…。

師匠から受け継いだ技が、かなり特徴があるもののようだと最近改めて思わされる機会があったので、最近の本部でやってる合気道はどんな風に教えているんだろうと思ったので買った次第。

 

合気道を教えている以上、稽古に来ている人たちが、将来他の道場の人と交流を持った時に困らないよう、オーソドックスな内容も伝えておきたいと考えたところもある。

自分のやりたいことをやるだけでは無責任で、潜在的にも求められることをやる必要があるからね。

 

で、まぁ読んだわけですが、連続写真が大量にあって、技術書としては親切で良い本ですよ。

ただ、武術としての理屈(「理合い」という)を理解していないと、この動きをトレースしても素人や他流派の人には技がかからないと思った。

 

「色々むずいな」と思いながら読んでみたんだが、さらにいうと「武道」という表現はあっても「武術」とか武術的要素は全然出てこないんだよね。

毛沢東が推進した24式簡化太極拳は、功夫だけど武術とは言われない、みたいな感じだなと思った。

 

武術としての太極拳は別に伝承されているからね…。

いや、宗家にそれをやられると、周囲の弟子としてはどうしたものか…。

 

やれることは、師匠に教えていただいた技術を、できる限り正確に伝承することくらいなんだけどね。

困ったもんだなぁと。

 

まぁ、ご参考ということで。

責任ってなんだ

まぁ、政治と金の話は人類の歴史とともにあるわけですが。

で、今もやっている。

 

問題を起こして責任を取る。

有り体に言えば「辞めろ」という話だが、それは特権的な地位にあると思われているから、そんな美味しいポジションから叩き出して惨めな立場に追いやれば良い、という話なんだと思う。

 

あるいは刑事・民事の訴追を受けてなんらかのペナルティを追うべきである。

まぁそういう責任の取り方はあるだろう。

 

ところで会社において「責任を取る」というのは、どういう在り方なのか。

そりゃ犯罪行為をやった場合は別として、会社の目標に対して責任のある立場の人が、期待した通りの目標に到達できなかったとする。

 

有為な人材はうじゃうじゃいるわけじゃない。

大事な目標であればあるほど、彼・彼女が適任、あるいは彼・彼女しかいないと思って任せている。

 

それだけの人間であれば、普通怠けたりはしない。

それでも目標に到達することができなかった時に、どう責任を取ってもらうのか。

 

辞められたらみんな困る。

後を務められる人間は居ないか、居たとしても別の仕事で要職にある。

 

同じことを彼・彼女に引き続き取り組んで貰うのもおかしい。

結局は、彼・彼女で出来なかったのだから、違うやり方を試すしかないと、組織側が任命責任として受け入れるしかないのだと思う。

 

組織における責任の負い方、負わせ方について、色々考えてしまうのであった。

まぁ、ご参考ということで。