人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

何をもってビジネスとするか

仕事の関連性もあって積読在庫を引っ張り出してくる。

 

一度体系的な理解を、と思って手にしたのだが、とても長い本である。

成り立ちから各目標に取り組むべき理由、日本の現状などが丁寧に語られている。

 

正直、五分の一くらいのボリュームに整理してもらってあっさり解説してもらった方が個人的には助かったのだが。

とはいえ、じっくり説明してもらって、取り組む意義については良く分かりましたが…。

 

あとは日本の現状やビジネスに関する記述が若干表層的な印象だったのが少々気になったのだけれど。

それはともかく。

 

取り組みの意義はよくわかるし、否定する余地のない理念だけに、微妙に商売の匂いがするのがこの手の話で気になるところ。

昔、「この目標に対応してないとオリンピックの公式スポンサーにもならなくなる(だから大事なんだよ)」という話を拝聴して、これはヨーロッパ諸国が得意なルール変更の戦いなんじゃないかと思ったのですよ。

 

実際のところ、余裕のある企業の方が対応しやすいから、強い者がよりチャンスを得やすい枠組みなんじゃないかなと思ったり。

もちろん純粋に意義を信じて推進している人たちが居ることは素晴らしいのだけれど、そういう人たちに企てを持って乗っかっている人たちがいるんじゃないのかなぁということに引っ掛かっている。

 

たとえ乗っかる人たちがいても、結果的に世界がより良くなるならそれもまたよし、なんだけどねぇ。

まぁ、ご参考ということで。

 

オンリーワン戦略

こんな本を読む。

 

本著者による雑草の戦略に関する本を読むのは三冊目だったろうか。

毎度面白いんだけれど、本書は特にビジネス書読者をターゲットに、いまどきの話題が語られており特に馴染みやすい。

 

植物の世界ではNo.2という存在は生きていくことができない。

なにかの種は必ず特定の環境下でオンリーワンであり、すなわちNo.1なのである。

 

植物には戦略の方向性として三軸あるそうな。

強さ=規模の大きさを求める方向性、ストレス耐性=過酷な環境をしのげるだけの蓄えで勝負する方向性、そして環境変化への適応力=スピードという方向性。

 

どれか一つに絞るわけでなく、三軸のバランスに成り立っているそうなのだが、雑草と呼ばれる植物は特に環境変化への適応力が優れているものを言う。

動けない植物におけるスピードとはなんぞ?

 

それは成長のスピードであり、世代交代のスピードでもある。

一つの個体にも変化適応力が備わっているだけでなく、多産多死を早いサイクルで繰り返すことで、変化する環境にも生き延びることができる。

 

ほら、完全に戦略論だよね。

規模?ストレス耐性?スピード?

 

どこで戦っていきましょうか…。

やっぱり面白かったのでした。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

誰の弟子か、いつの弟子か

合気道は本業の一つなので、たまには真面目に研究してみる。

 

若い頃欲しくても買えなかった人たちが出版界で偉くなったからなのか、最近は小生が高校生〜社会人になりたての頃の武術関係の本が復刻されている印象だが、こちらは昭和37年初版、合気道の技術本初期の一冊。

二代目道主の手によるものである。

 

合気道の厄介なところは、作った本人が体系立てて教える気があまりなかった(自己の技の完成を追求していた)らしいこと、若い頃から晩年へとスタイルが結構変わってしまったことがあって、誰から教わったのか、いつ頃教わったのかで、伝承する技(スタイル)が、かなり違ってくるのである。

体系立てて教える気があまりなかったので、それぞれのお弟子さんが自分なりに解釈・整理をして物にしていくしかなく、個性豊かとなる。

 

そして、いつ弟子だったかによって、見ていた技、真似したスタイルが違うということになり、たぶん弟子同士の見解がずれていくことになりやすい。

そこをまぁ求心力たるために頑張ってきたのが歴代宗家ということなので、本書の著者である二代目道主もその後の三代目現道主も、本当に苦労されたんだろうなぁと、今更ながら理解する。

 

だってまぁ、小生が稽古してきた技と、本書に載っているそれは、もう全然違うもの。

素人目にはスタイルの違い程度にしか映らなくても、細かい文字から連想される動作に通底するコンセプトが、たぶんぜんぜん違うので、思わず小生が稽古してきたのは合気道だったのだろうかと不安になるほど。

 

小生でこのレベルだから、昔の我の強いお弟子さんはもっと反目しただろうし、そんなお弟子さんがウジャウジャいる中で、それでも「本部道場」として泰然とするのは、まぁ大変だったろうなと。

さて、「伝言ゲーム」で三代目、四代目とも更にかけ離れたであろう小生の合気道、今後どうしていこうかなぁと悩みは深くなるばかり。

 

先生、どうしたらいいんでしょうねぇ…。

まぁ、ご参考ということで。

 

リソースには限りがある

何を当たり前なことを、という話。

先月まで月間300キロのランニングを継続し、今後どうしていくかを試行錯誤している。

 

毎朝10キロ走っても良いのだが、ケトルベルや合気道の一人稽古が朝のルーチンから押し出されるのがやや不満、というのが試行錯誤の発端。

いかにランニングの質を高めるか、みたいなことを色々調べて、割と当たり前の結論に着地する。

 

市民ランナーで相当速い人たちのメニューを覗いたりしてみても、大体月間300キロ前後で収めていることが多い。

しかしその300キロの配分が違っていて、フルマラソンが速い人であれば、30キロ以上の距離走を必ず入れてくる。

 

一般的トレーニングと特異的トレーニングってやつですね。

300キロの中で、何の成果を目指してメニューを作っていくか。

 

限られたリソースの中で、最大限の成果が得られるようにメニューを組んでいく。

小生の場合、ランニングだけでなく合気道やらケトルベル(ケトルベルで作った身体の「先」があるんだろうけど)も踏まえたトータルのリソースをどうマネジメントするか。

 

あぁ、結局のところ、何を目指してるんですか、という話に帰結するんだよね。

それがボンヤリしてるんだよなぁ(苦笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

重要で実行可能なもの

こんな本を読む。

 

Kindle月替りセールで買ったのだろうか。

非常に評価が高かったのと、著者の名前は耳にしていたので手にしたのだ。

 

少々長い本で、要点を整理すれば三分の一くらいに圧縮できるはず、というのは海外のビジネス書でよくあるパターンなのだが、本書は長くても楽しく読めたのである。

というのも、著者が既存の「戦略」と名がつくものをバッサバッサと批判するのが痛快で、また織り交ぜられる様々なエピソードが魅力的だから。

 

有名企業や組織の実際の戦略を引っ張り出してきて、「いやこれ何も言ってないに等しいでしょ」「組織の定義をそのまま言い換えただけでしょ」「意味わからないでしょ」みたいに切っていくところは思わずニヤリ。

実際に関わった戦略策定の鋭さに思わず唸らされたり。

 

いやいや、殆どの会社が戦略不在だなぁと思わされるわけで、さぁどうしようと考え込んでしまう。

本書のエピソードの中に、カーネギーとテイラーの話があって、非常に感銘を受けた。

 

カーネギーは当時売り出し中のテイラーに「何か気の利いたアドバイスをしてみろ。気に入ったら後で100万ドルの小切手を送る」といい、テイラーは「最も重要で自分が行うべき10のリストを作り、大事なものから取り組め」と言ったそうだ。

そして後日カーネギーは100万ドルの小切手をテイラーに送ったそうである。

 

重要な問題に向き合っていて実行可能なもの。

それこそが戦略という重要な示唆である。

 

まぁ、ご参考ということで。

 
 

コンテンツビジネスにおける三角形のアナロジー

武術研究に勤しみつつ、ビジネスにもどっぷり浸かってきて、十数年前からなんとなく思っているのが、道場経営を含むコンテンツのビジネスっていうのは、三角形の形をデザインすることなんだろうなということ。

三角形というのは、ライトユーザー(道場なら初心者)からヘビーユーザー(同、上級者)が織りなす階層構造の三角形。

 

ライトユーザーがボリュームゾーンとして底辺に居て、尖ったヘビーユーザーが三角形の頂点をなす。

裾野が広く高さが低い鈍角の三角形ならヘビーユーザーとライトユーザーの距離は近く、全体の面積となるビジネスの規模も大きくなりやすいが、尖りがないので発展性がなく、飽きられやすい(裏を返すと常にユーザーが入れ替わる前提ということになろう)。

 

逆に、裾野が狭いがヘビーユーザーの尖り具合がすごいという鋭角の三角形は、高さが作れるが面積が狭く、裾野が狭いために脆弱(形として倒れやすい)。

「すべてのジャンルはマニアが潰す」ってやつですね。

 

鈍角に過ぎると、ビジネスとしては成り立つが、「これ結局なんだったんだっけ?」というくらい元々のコンテンツ(伝承)がうやむやになる。

鋭角に過ぎると、時に天才を産むが、次が出てこないので存続が危うい。

 

正三角形が正しいかどうかは別として、鋭角でも鈍角でもなく、バランスの良い三角形を保ち、三角形のサイズ全体を大きくしていく。

大きくしていくことで、上にも横にも広がっていき、全体のレベルも上がりながら、ビジネスのサイズをも大きくできるのが理想。

 

そりゃなんだ、と言われれば、ヨーロッパを中心とするサッカーでしょうねと。

着実に裾野を広げ、着実にレベルを上げているように見える。

 

道場経営もそうもっていければいいんだけどねぇ。

まぁ、ご参考ということで。

 

目の前のものに囚われすぎるな

武術研究でこんな本を買って読む。

 

三月くらいから、今後合気道とどう向き合っていくかを色々考えていて、インプットを重ねている。

日本の武術は空手を除いて剣術がベースなので、居合も独習してきたし、亡き師匠も若い頃嗜まれていたこともあって、改めて手に取った次第。

 

古流剣術、居合の数派を納め稽古を重ねておられる著者による解説書。

居合をやっている人、小生のようなマニア以外にはなんの役にも立たない本。

 

なので中身を詳しく書いたりしないが、亡き師匠が仰っていたことと同じ内容もあったりして、小生的には納得感もあるし、懐かしくもなる。

著者が再三警鐘を鳴らしているのは、居合は確かに優れたものを多く含むが、あくまで剣で戦う技能の一態様でしかないので、それを全てと思ってはいけないということ。

 

まして居合は単独で稽古し、その見た目の良し悪しを評価することになるので、武術としての本義から離れがちであると。

これはね、合気道も含め、なんでも良くある話だと思っていて。

 

一つの芸事に専心しながら同時にそこから自由であること、相対化できること。

これはある程度納めた人間は必ず意識しなきゃいけないことだと思っている。

 

そんなことに改めて気づかせてくれた本なのでした。

しかし、こんな思い出に残る師弟関係を持てた小生って、ほんと幸せな人だなぁ。

 

まぁ、ご参考ということで。