人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

合わない本は読まんでよろしい

こんなタイトルでしかも読むのをやめた本を紹介して良いものか。

まぁ相性というものがあるので、あくまでも小生の場合はということで、ご容赦願おう。

 

これは偏見だと思うが、どうもグロービス経営大学院の出版物と相性が悪い。

 

相性が悪いといえば、司馬遼太郎村上春樹も小生は読めない人なので、グロービスが悪いんじゃなくて、小生が悪いのだ。

本書はまぁ、タイトルの通りの本で、若いメンバーの育成に役立てばと思って手に取った次第。

 

グロービス経営大学院の研究として、妙齢のビジネスパーソン数十名にインタビューを重ねて、いかに志が形成されたかを紐解いていく前半部分と、実績を残したビジネスパーソンケーススタディが後半にという構成。

小生が折れたのは長さかなと。

 

単純な長さというより、繰り返しの長さがつらかったなと。

帰納法的論証を試みているので、仕方がない部分はあるのだが、読了しても結論を覚えていられるイメージが湧かなかったので、二割くらいでストップ。

 

いつかの機会に取っておくことにした。

読書というのは一つの体験だから、我慢してもいいことはないと思う。

 

我慢が続けば、読書が辛い体験として記憶されてしまうし、辛い思いをして読了した本が後で役に立った記憶はあんまりない。

というわけで、断念の記録として一応エントリー。

 

年に一回くらいしかないんだけどなぁ。

前回はエッカーマンの「ゲーテとの対話」だったかな。

 

あれも辛かった…。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

あれか、これか

仕事だとかプライベートだとか、難しい決断を迫られることがある。

「あれか、これか」まさしく「迫られる」ことがあるのだけれど、そこで少し冷静になってみたい。

 

「あれも、これも」はできないのかと。

もちろんそんなことは難しいのはわかっている。

 

「あれも、これも」が難しいから「あれか、これか」で迫ってくるのだけれど、迫ってくる当人は、こちらからするとどうでもいい理由や解決可能な問題を背景に、二者択一しかないと思っていることはある。

だから、それをぶっ壊してあげることはすごく大事。

 

さらに言うと、二者択一というのは「今できること」を前提にしていて、「今できること」ことからすれば「あれか、これか」なのである。

だから「あれも、これも」を実現しようと取り組むことで、今までできなかったことができるようになる。

 

少なくともそのチャレンジにはなる。

「あれも、これも」。

 

弁証法だね。

亡き師匠が教えてくれたなぁ…。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

やる気は狙って出せるのか

なんか昨日に引き続き疑問形のタイトルで恐縮だ。

今朝方こんな記事を読む。

 

president.jp

記事の後半に、上司が「やる気を出せ」と言ってもダメだ的なことが書いてあり、そんなの当たり前だろうと思ったりはする。

一方で若手社員の育成を担っている立場とすると、「もうちょっとやる気出してくれねぇかなぁ…」というのは毎日のように思う。

 

いや、問題は「やる気」なんていう精神論ではなくて、純粋なアウトプットでしかないのだ。

しっかりしたアウトプットを出してくれるなら、やる気なんかいらない。

 

アウトプットのレベルが低いから「お前もうちょっと頑張れよ…」と思うんだろう。

更に考えていくと、アウトプットのレベルが低いというのは、期待されているアウトプットのレベルを認識していないから、という可能性が高い。

 

いまどきの若者たちは優秀なので、アウトプットのレベルが低いことを認識していれば、そのまま上司に仕事の成果として提出したりはしない。

たぶん我々側が、この仕事にはこのレベルの質・量を求める、ということを、彼らにわかる形で示せていないということが問題なのだろう。

 

「俺の仕事ぶりを見てりゃわかるだろ…」と言いたいところだが、「一を聞いて十を知る」ことができる社員を求めることはできない。

いつまでに、何を、どれくらい、という当たり前の話を丁寧に、具体的に説いていき、「おっと、これは思ったより大変だぞ」と感じてもらい、努力をしてもらう。

 

その努力のプロセスを遂行していく中で当たり前にくっついて来るのが「やる気」なんだろうし、そのプロセスの繰り返しで業務遂行能力が上っていくと、「やる気」のレベルもアウトプットのレベルも上がっていくんだろうなぁと。

あぁ、やっぱりマネジメントの責任ですね…。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

帝王学を学べば帝王になれるのか…それが問題だ

Kindle日替りセールで遭遇したので再び中国古典に触れる。

 

出口さんの本は久しぶり。

それにしても流石の博識である。

 

本書でとり上がられている貞観政要というのは、唐の時代の名君、太宗と臣下の者たちとの対話集。

と、言われる中国古典の裏話・カラクリなども解説してくれつつ、要点と出口さんならではの切り口でポイントを語ってくれる。

 

まさに帝王たるもの、リーダーたるものかくあるべし、というような良いことがたくさん書いてある。

そうだなぁ、そうだよなぁと思いつつ、帝王でもない小生が帝王学を学んで納得していることに気恥ずかしさもあったりする。

 

帝王学を学んだから帝王になれるわけではない。

経営学を学んだから経営者になれるわけではない。

 

哲学を学んだから哲学者になれるわけではない(亡き師匠がこんなようなことを言っていた)。

武術を学んだから武術家になれるわけではない?

 

ピアノを練習したからピアニストになれるわけではない??

ランニングに励んだからランナーになれるわけではない???

 

色々単語を入れ替えてみると、頭がモゾモゾする。

学ぶことは必要条件だが十分条件ではないということか…。

 

では十分条件とは何か?

武術を学ぶだけではダメで、武術家であろうというマインドに頭のてっぺんから爪先までドップリつからないとダメだと思っている。

 

であるならば、リーダーたらんと思う者は、リーダーシップを学ぶだけではなく、常にリーダーであり続けなければならない、ということか。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

天才待望論

本職?に関わるのでこんな本を読む。

 

出会いはKindle日替りセールだったと思う。

このテーマに類する本はそれなりに読んできたし、どの本も結論に大きな違いは無いと感じている。

 

両利きの経営、部門横断型人材、創発の場…。

本書も概ね主張は共通しているが、理論と実践の厚みが凄いことは熱量で伝わってくるのだけれど。

 

ただ、これは本当に雑な感想で申し訳ないのだが、スタートは科学的、論理的に始まるものの、最後は部門横断ができるマインドと能力を持った人材の育成と、創発・共創の場の提供という、なんともモヤっとした、情緒的な結論で終わるのも類書と共通する感じがする。

両利きの経営がやれるほどの余裕が(色んな意味で)無い会社はどうするのか?人材を狙った通りに育てられるのか?場を作ったくらいで本当にイノベーションが生まれるのか?という疑問に対して、明快な回答はできないのである。

 

アメリカの事例を引き合いに出しているが、あの国は、巧妙な戦略に結果論も加わって、世界中からヒトモノカネが集まるようになっていることがイノベーションの源泉だと小生は思っている。

なのに制度だけを模倣して、そこからある種の特異人材が生まれるというのは、かなり確率が低そうな提言に感じる。

 

ちゃんと経営して収益を上げ、優秀な人材を集めて研究開発を続ける。

なんとも面白くない不都合な真実が、本当の正解じゃないかなぁと思ったりするのだ。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

使い道がないお金があったら…

生まれて初めて画集を買う。

 

Water

Water

Amazon

 

 

時々美術館に行く。

年に数回というところだけれども。

 

先日、家族で森美術館を訪れた帰り、ミュージアムショップで販売されていたのがこちら。

その時にパラパラめくって、「これは!」と思ったのだけれど、画集なんて買ったことがないから、躊躇してその時は店を出た。

 

で、後日Amazonで買い直すという、森美術館さんごめんなさい、である。

作者のことはよく知らない。

 

パステル画で、ほぼ風景、たまに静物という感じ。

巻末の文章はまだちゃんと読んでいないのだが、おそらく夏の風景が多いのだと思う。

 

さらに想像だが、写真を一度撮って、それをパステル画に起こしているんじゃないかと思う。

自分が写真を撮るからそう思うのだけれど、なんとなくアングルが写真的なのだ。

 

瞬間的に心が動いた瞬間を切り取った写真のアングルは、じっくり腰を据えて描く絵のアングルとは違うような気がする。

うまく言えないけど。

 

本自体はA5横を一回り大きくしたくらいなので、大きなものではない。

パラパラめくって風景を眺めていると、五感が刺激される。

 

夏の日のジリジリと熱い感じ。

空気の肌触り、水の匂い、風景の音。

 

そんなものを思い出す。

ちゃんと勉強したわけではないので、偉そうなことを言うつもりはないのだが、小生にとって良い作品というのは、視覚だけでなく五感が刺激されるものだと思っている。

 

そういう意味で、本書はバリバリ刺激してくれて、初めて画集を買うという(どうでもいい)ハードルを越えさせる力があった。

ところで、黒田硫黄という人の漫画に「茄子」という短編集がある。

 

その中の一作に、「使い道のないお金があったら絵を買いなさい」というような台詞があった。

「なんかかっこいいなぁ」なんて思っていたのだが、ちょっとその影響もあったのだろうか。

 

そんな、どうでもいいことまで思い出してしまった。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

人間主義とは?

Kindle日替りセールで高評価だったもんだから、こんな本を買って読む。

 

ブルネロ・クチネリというイタリアのアパレルブランドを創業された、その名もブルネロ・クチネリさんによる回顧録的なエッセイである。

昔のイタリア農家の生まれ、お育ちのようで、テレビもないような昔ながらの生活で育ち、読書を通じて先人たちの知恵に学び、仲間たちとの触れ合いを通じてインスピレーションを得る。

 

そんなアナログな良さを大事にして、イタリアの田舎の村を買い上げ、職人たちの手作りの工程を大事にしながら世界中で高品質なアパレルを展開するという会社になったそうである。

「ふーん、いいんじゃない」とは思うわけです。

 

戦略的にも優れているだろうし、まぁ人間本来の在り方を追求すること自体はいいよねと。

で、ブルネロ・クチネリのWebサイトを見て、はてと戸惑う。

 

カシミヤのセーターが15万円するわけです。

「日本が貧乏になっている」なんて言われているが、そういうことではないでしょう。

 

腐ってもGDP世界三位の国で、はばったいけれどそれなりの生活をしている人間でも、ちょっと買えない値段ということは、世界70億人でみれば金持ちのほんの数%が買うか買わないか、そんな値段。

エルメスとかグッチとか、そんな価格帯な訳です。

 

うまく言えないんだけど、一部の金持ちに高い商品を売るビジネスで得た収益で、高い給料やステキな村を整備して人間主義なんです、って凄く違和感を感じるのだ。

ユニクロが手放しで素晴らしい会社なのかは別として、いろいろな工夫を経て、5000円のカシミヤのセーターを世界中の人達に広く販売する方が、よっぽど人間主義的なんじゃないかなぁと思うのだが…。

 

コレって日本の小売ビジネスの創業者にもある思想だと感じるのだが、小生が影響されすぎなんだろうか。

なんか、おかしくないですか?

 

まぁ、ご参考ということで。