中学生の娘は日々成長しており、大人の入口に立っている。
ま、ストレートに言えばもはや子供のように可愛くないということだ(笑)。
小さい頃から続けているピアノはレベルが上がり、毎日の練習でも上手くいかずイラつくことが多くなった。
姿勢も悪いし指番号も適当なら上手くなるわけがないというのは、楽器を弾かない父親にもわかる。
だって型稽古を死ぬほど重ねてきたからね。
上手くいかないイライラがある中で、当たり前の指摘を母親にされ、不機嫌なリアクションをとり、母親も(横で聞いている)父親もブチ切れる。
もう止めちまえ、ってなもんである。
娘も娘で、そんなことでキレてもしょうがないんだよ。
人間を神の領域に連れてってくれるのは型稽古しかないんだから、苦しくても淡々とやるしかない(黒田鉄山先生もおっしゃっていた)。
型に合わせるのも苦しいし、なかなか結果が伴わないのも苦しいけれど、ここは我慢して信じるしかない。
親は親で、これもキレてもしょうがない。
結局、型稽古の意味と意義を本人が理解して挑み続けなければ、今以上のレベルには到達しないのだから、そこを煽てたり怒ったりして型稽古にはめ込んでも、行き詰まるタイミングを一年くらい先送りに出来るだけで、結局伸びなくなるんだよね。
なのにブチ切れてみんな不機嫌になるくらいなら、止めればいいのさ。
行き詰まるのを受け入れるのは、親としても苦しいんだけどね。
まぁ、ご参考ということで。