人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

下手な稽古・ダメな稽古

合気道の師匠には「稽古にはやればやるほど上達する構造とダメになっていく構造がある」と説かれた。

もちろん、「やればやるほど上達する構造」に持っていかなければならないのだが、この言葉には、ただ稽古を積めば良いというものではない、という質的な要求が存在することを示唆している。

 

一部の武術マニアには有名な、黒田鉄山という武術家の先生がいて、その先生も「下手な稽古、ダメな稽古」という言葉を使われる。

黒田鉄山 - Wikipedia

 

意味合いとしては同じだと思う。

下手な稽古が、今は上手くないけれども、積み重ねていけば上達する稽古で、ダメな稽古が一見頑張っているようでも実際はやればやるほどレベルが下がる稽古である。

 

今日も在宅ワークをしていて、娘のピアノの稽古を見ながら(といっても小生はピアノはわからない)、下手な稽古とダメな稽古について、コンコンと説教してしまった。

娘にはピアノ、合気道、バレエ、水泳などやらせているが、別にピアニストや武術家やバレリーナや水泳のメダリストになってもらうことを望んでいるわけではない。

 

どんなことにも「学び方」というものがある、ということを理解してほしいのだ。

ただ学べばよいのではなく、どんな学びにも、下手なアプローチとダメなアプローチがある。

 

そして、たとえ目先の結果が出なくても、下手な稽古を積み重ねていれば必ず成果が出る時が来るし、目先上手く行っていても、ダメな稽古をしていれば必ずその報いが来る。

勉強も、趣味も、仕事も、すべて同じ。

 

そういうことを娘には理解してほしいし、合気道を通じて師匠が小生に伝えたかったことの一つも、きっとそうだったのではないかと思うのだ。

まぁ、ご参考ということで。