人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

自分の技は自分で切り拓け

※5月2日はお休みをいただいておりました。

今日のエントリーは素人さん置き去りである。

 

Amazonポイント還元セールで武術書をまとめ買い&固め読み。

 

一冊目は合気道の達人による稽古日誌を基にしたもの。

合気道の達人なんて言っても、小生30年近く合気道やっていて初めて知ったのだが、大日本武徳会系列の合気道というのがあるそうで、技的には小生とは全く接点がない方のもの。

 

素人さんからすればこんなの本当なのか、というくらいフワリとした柔らかい体捌き(もはや技には見えないと思う。YouTube参照)。

で、そのフワリとした技の感覚をひたすら述べていて、修行していない人にはちんぷんかんぷんのはず。

 

でも大体わかるのは本当に師匠のおかげ。

師匠の晩年は足腰が弱くなられたこともあってか、こんな技を見せられることが多かった。

 

二冊目は日本柔術の源流と言われる古流柔術の本。

とにかくデカくて本棚に入らない。

 

そして全部ではないが一通り写真で技が披露されていて、こんなの見せちゃっていいのかなと思うものの、隠しても滅びるだけという判断もあったのだろうと勝手に想像する。

概ね理解できるのだが、さすが柔術、前提としている世界観が現代とかけ離れ過ぎている。

 

小太刀を携えた二人が股間を突き合う(鎧着てる想定だから多分そういうことになる)ところから始まるというのはなかなかである。

師匠は若い頃、古流に近いスタイルを披露されることが多かった。

 

三冊目はちょっとおまけ。

大東流の達人による合気という技法を中心とした解説書。

 

これもなんとなく理解できるし、少し師匠も合気を披露されたことはあった。

読んでいて多分師匠もこの先生の本なり記事を読まれたことがあるんだろうなと感じるものがある。

 

さて、色々と武術書を漁っているのは、合気道における自分なりの方向性を模索するため。

といっても、師匠から教わったことから逸脱する気はないのだが、師匠の技は上述の通り「振れ幅」があり、自分はその中のどの辺をいくべきなのかと考えていたのである。

 

今回、結果的に両極に触れて、改めて思うところがあった。

あまりにフワリとした技は一般の人と稽古しにくい。

 

かといってガチガチの古流も時代にそぐわなさすぎる。

今の時代に即し、稽古に励む人にとって導となるようなものを目指すべきではないかと感じた。

 

それがどんなものか、まだ模索中なのではあるが、結局は自分で考えて、自分で決めて、稽古に励む、それだけのことなんだろうと思う。

きっと師匠が存命で、ご相談したとしても「まぁいいんじゃない?」と笑いながら仰るような気がする。

 

やりましょう、やりましょう。

まぁ、ご参考ということで。