人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

合気道の良くないところをあえて語ろう

これまで30年、好きで稽古してきて、これからも稽古を続けていくつもりなので、敢えて合気道の良くないところを語っておく。

きっかけは先日参加した合同稽古・講習会で大事な友人が怪我をしたことによる。

 

「怪我をした」と書いたが、正確には特定の相手に「怪我をさせられた」であり、誰に直接の責任があるかといえば怪我をさせた個人ではあるが、小生は運営に関与した側ということで一端を担っているため、どうしたら今後このようなことが起こらないか、ということに意識を持っておきたい。

それはそれとして。

 

個人的に合気道で一番嫌いなのが、こういった合同稽古、講習会の類。

今よりもう少し尖っていた若い頃は、自分が信じた師匠以外の技を習いたくない、という気持ちがあったからだと思っていたが、今改めて考えるとそれだけでもなく、合気道の良くないところが露呈しているんだろうなと感じている。

 

良くないところその一。

技術的な正解が流派として統一されていないところ。

 

詳細は長くなるので割愛するが、合気会本部道場の方で「これが正しい合気道」というものを一生懸命発信し続けているのものの、合気道の成り立ちもあって、わりと各先生、各個人に自由度が高く、古流剣術・柔術、能や歌舞伎、バレエのような動きの厳密性が要求されない。

これは試合がないことも関係していると思っていて、試合があれば「これをやれば勝てる」という形での「正解」(あくまでも「」付きの正解だけれど)が見出されるのだが、その構造がないのでいくらでも理屈が作れる。

 

そうなると、ああだこうだと理屈をこねて格下と思われる相手に指導したがる鬱陶しいオヤジが大量発生するのである。

だから試合をやるべきだ、というのはあまりに安直だけれども。

 

ゴルフ練習場で誰もが経験するストレスと同じだし、いろんな人からいろんなことを言われて混乱するので、これは初心者にとっても大変優しくない。

そんなオヤジに捕まっている初心者を見ると、申し訳なくて合気道を代表して謝りたくなるのである。

 

良くないところその二。

知らない相手と練習する時にマウントの取り合いになりやすいところ。

 

主に合同稽古で発生するのだが、力任せに相手を痛めつけようとしたり、「おまえなんぼのもんじゃ」みたいな感じで、とりあえずキツめに技をかけてくるオヤジが登場する。

そんなことをされた日には「お、テメェ俺を誰だと思ってるんだ?」って思うでしょ?

 

そうなるとマウントの取り合いに発展するわけだが、でもそれでやり返しちゃいけないので、こっちは我慢するわけ。

その理不尽さが馬鹿馬鹿しいのだよ、ホントに。

 

これもまた初心者殺しだと思います。

合気道というのは、技を受けてくれる相手が、良い練習になるように掛かってくれる、協力してくれるから成立するもの。

 

ごく稀に、どう抵抗しようが技がかかる「外れ値」みたいな先生がいるけれども、世間で「先生」と呼ばれる人も含めて、相手が技を受けてくれるという前提のもとで成立している武道なのである。

その重大な前提を忘れ、相手が受けてくれることをいいことに、調子に乗って痛めつけようとする修行者は無くならない。

 

そこを人格などの精神的な要素で是正を要求しても改善はしないと思う。

構造的に練習の体系として「出来ない・しない」ようにしていかないと。

 

以下は余談だが、上記の「良くないところ」に対して、今後小生なりにどう向き合っていきたいかを述べておく。

まず、技術的な正解という点に関しては、師匠の教えてくれた動きを厳密に守り続けることと、戦闘技術・格闘技術として有効かどうか、という点を追求することで担保したい。

 

何をもって正解とするか、色々意見はあると思うが、武道である以上、戦闘技術・格闘技術として有効かどうか、というのはある意味絶対的な拠り所だと思っている。

第二のマウントの取り合いをどう避けるか、という点についても、戦闘技術・格闘技術として有効かどうか、という観点が有効ではないかと期待している。

 

稽古をするもの同士が戦闘技術としての最善を追求することで、どちらが強いか・正しいかというマウントの取り合いではなく、最善に近づくにはこんなやり方があるのではないか、という同じ道を歩むものとしての健全な意見交換になれば良い。

そこに経験の多寡は関係なく、白帯が新鮮な視点を持ち込んでくれることだってあるはずだ。

 

その延長として、最終的には試合や乱取りの正しい形も編み出したいと思ってるけどね。

いくらでも語りたいことがあるのだが、長いのでこの辺にしておく。

 

まぁ、ご参考ということで。