人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

帝王学を学べば帝王になれるのか…それが問題だ

Kindle日替りセールで遭遇したので再び中国古典に触れる。

 

出口さんの本は久しぶり。

それにしても流石の博識である。

 

本書でとり上がられている貞観政要というのは、唐の時代の名君、太宗と臣下の者たちとの対話集。

と、言われる中国古典の裏話・カラクリなども解説してくれつつ、要点と出口さんならではの切り口でポイントを語ってくれる。

 

まさに帝王たるもの、リーダーたるものかくあるべし、というような良いことがたくさん書いてある。

そうだなぁ、そうだよなぁと思いつつ、帝王でもない小生が帝王学を学んで納得していることに気恥ずかしさもあったりする。

 

帝王学を学んだから帝王になれるわけではない。

経営学を学んだから経営者になれるわけではない。

 

哲学を学んだから哲学者になれるわけではない(亡き師匠がこんなようなことを言っていた)。

武術を学んだから武術家になれるわけではない?

 

ピアノを練習したからピアニストになれるわけではない??

ランニングに励んだからランナーになれるわけではない???

 

色々単語を入れ替えてみると、頭がモゾモゾする。

学ぶことは必要条件だが十分条件ではないということか…。

 

では十分条件とは何か?

武術を学ぶだけではダメで、武術家であろうというマインドに頭のてっぺんから爪先までドップリつからないとダメだと思っている。

 

であるならば、リーダーたらんと思う者は、リーダーシップを学ぶだけではなく、常にリーダーであり続けなければならない、ということか。

まぁ、ご参考ということで。