人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

外国語で考えてみる

といったって、別に語学が堪能なわけでもなく、英語に置き換えてみるだけの話なんだけどね。

先日、仕事の場面で複数関係者の「擦り合わせ」を進めなければならない状況になった。

 

全然立場が違い、内容も複雑で専門的、我々の立ち位置も若干曖昧という、なかなかプレッシャーを感じる話で、うっすらと不安がよぎる。

そもそも「擦り合わせ」って、具体的にアクションとして何をするんだっけ、それが曖昧だから不安を感じるのかなと思う。

 

そうだ、英語だとなんていうのか調べてみよう。

以前、なんとなくわかった気になっていた単語の英訳を知り、概念の理解が深まった経験がある。

 

果たして「擦り合わせ」は、exchange views もしくはcompare notes と言うらしい。

なるほどそうか、「私はこう見えていますが、あなたは?」で確かに擦り合わせは出来そうである。

 

とりあえずこれで「さぁどうしよう」という不安は消えた。

あとはアクションを取るだけだ。

 

ちなみに小生の今日の主要タスク、資料作成を英語で調べてみると、create, make, write, prepare などの動詞にdocuments ,materialsなどの名詞が続く。

はて、色々言い方があるようだが、今日の資料作成はどうだろうね。

 

prepare documents かなぁ。

まぁ、ご参考ということで。

金儲けと経営と

こんな本を読む。

中小企業の「ストックビジネス」参入バイブル

中小企業の「ストックビジネス」参入バイブル

  • 作者:小泉 雅史
  • 発売日: 2019/03/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

新規事業開発に関わる身としては、どんな内容だろうなと思って買っておいた一冊。

ストックビジネスもフロービジネスも良し悪しがあるのだが、「チャリンチャリンビジネス」の魅力は確かに抗い難い。

 

で、本書の内容自体は、ストックビジネス構築のために色々な方法の紹介をしているのだが、M&Aフランチャイズビジネスでの参入がメインとなる。

うーん、と唸ってしまう。

 

確かにゼロイチで新規事業を立ち上げるのは難しいし、人材の出入りも発生してしまう。

むしろ出来上がったビジネスの方が確実で、そこの経営管理を通じて次世代を育成するという著者の考えにも説得力がある。

 

でもねぇ、M&Aはどこまでいっても人が「要らない」と言ったビジネスを買うという行為だし、FCもフランチャイズ本部が儲かるようになっている仕組みに乗っかる話だし…。

個人的に引っかかるのは、人がお膳立てしてくれた商売を持ってきて、経営やっていますっていうのはなぁ…自分のオリジナリティで勝負してみたいと思うのは小生だけだろうか?

 

収益と成功確率だけを求めれば、M&AもFCも悪くないと思う(楽をしたいと思っていないなら尚のこと悪くない)。

でも、どうせ勝負をするなら、自分のアイデア、オリジナリティを世に問うてみたくないですか、という風に思うのだ。

 

この辺を割り切って、金儲けに最短距離で突撃するのが経営なのかなぁ、自分が甘いのかなぁと、色々考えさせられるのであった。

まぁ、ご参考ということで。

創作の源

朝、娘と共に歩きながら駅に向かい、色々と話をする。

学校では物語を作ったりするらしく、娘の作ったお話がクラスで取り上げられた、というような話を聞く。

 

「どんなお話?」という問いに対して語られるお話自体はまぁ、支離滅裂なわけなんだが、そこは小学三年生なので仕方ない。

で、ずっと彼女が育ってきたのを見てきた人間としては、彼女のネタ元がなんなのかというのはよくわかっている。

 

彼女がお話のネタ元とするのは、あらかた小生が与えた本とか、見せた映画とか、初代タイガーマスクとかマイク・タイソンとかブルース・リーの動画とかな訳で。

幸か不幸かタイガーマスク以下は創作に影響していないようだが、結局人は自分に取り込んだ物語をもとに、新たな物語を作り上げていく。

 

「あなたの体は、あなたが食べたものでできている」なんていう話があるけれど、「あなたの物語は、あなたが読んだ物語でできている」ということだな。

そう思うと、良い作品に触れるというのは、子供に関わらず大事なこと。

 

B級アクション映画ばかり観ていてはいけませんな。

ビジネス書だけでなく、優れた物語も読まないと。

 

まぁ、ご参考ということで。

まだ起きてもいないことを心配しない

心配事の9割は起こらないというけどね。

小生のいくつかある人生訓の一つが、「まだ起きてもいないことを心配しない」である。

 

会社をクビにならないように真面目に働きスキルアップも忘れずに頑張ろう、というのはいいけれど、「クビになったらどうしよう」を今現在ウダウダ心配する意味は無いと思うのだ。

そんなことはめったに起きないし、起きてから考えればいい。

 

こんな本を読む。

 

「心配事の9割は起きない」も出てくるが、いろいろな論文を引用してきて豆知識的に編集してある本。

都合のいい情報をピックアップして自分なりに受け入れる方法を考えると、楽な生き方ができるかもよ、みたいな感じだろうか。

 

総じて、根を詰めすぎない、規則正しい生活をする、子猫・子犬の画像を見るとか(笑)、そんな感じ。

それはともかく。

 

人間のストレスの大半は過去と未来に関わるもの、とも聞く。

過ぎてしまったことへの後悔と、まだ起きていない未来への不安。

 

だからこそ、現在に集中すれば、ストレスは劇的に減っていく。

ここ10年くらいはそんな感じで生きています(何の話だ)。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

健全な精神は健全な肉体に宿る

古代ギリシアで「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われ、オリンピックの伝統が始まったとされているが、実は「健全な肉体に宿るといいなぁ」くらいのニュアンスが正確な表現だというのを知ってガッカリする、という太宰治の散文を読んだ記憶がある。

精神的に不安定な人だったようだから、体を鍛えればあるいは、という思いがあったのかもしれない。

 

しかし、太宰治の願いは通じたようである。

こんな本を読む。

 

タイトル通りのクリニックを運営する精神科のドクターによる一冊。

ライターがついていて、治療の概略をストーリー仕立てでわかりやすく説明している。

 

身近に多い病気でもあり、興味深く読ませてもらった。

精神的な不調を感じて精神科や心療内科を訪れると、「うつ」と診断されて薬を処方されることが多いが、著者の見立てによると薬の効果がある「うつ」である患者は少数しか居ない、という衝撃的なイントロから始まる。

 

既往症や生活習慣、感情のパターンをしっかり理解し、その上でまず生活習慣から変えていき、認知行動療法に入っていくそうだ。

それはなんだか正しいと思う。

 

武道やトレーニングを通じて、身体と向き合い続けているけれど、西洋医学は基本的に対症療法方なので、不調の現象に対処しようとするが、その原因そのものを取り除かないことが多い。

精神的な不調にもその原因があって、不規則な生活習慣感や肉体的な劣化があり、ストレス要因への向き合い方に問題があり、ということを、上記のアプローチで解決していくようである。

 

後書きで著者も再三強調しているが、なかなか厳しそうではある。

通読してパッと思ったのは、禅寺に修行に入る感じだなと。

 

早寝早起き簡素な食事、活動的な生活と座禅(メディテーション)、読経(認知行動療法)、みたいな。

精神的な不調に悩む多くの人に、一度読んでもらいたいものではある。

 

まぁ、ご参考ということで。

名人・達人・豪傑

体格を活かした強さを持っている人間を豪傑と呼び、体格に頼らず技術で強さを身につけた者を達人と言い、さらに人格まで備えた人物を名人と称える。

そんな風に師匠から教えられたことがある。

 

そりゃあ名人になるのがいいと思うが、技術と人格は別ってことなんですな。

優れた技術を持っていれば、必然的に優れた人格を備えるわけではない。

 

子供がだらしないので武道をやらせたがる親御さんは多いが、だらしないのは本人の性格と躾の問題であって、週に数時間武道の真似事をやったところで治るわけがない。

礼儀作法は親の責任だし、人格の陶冶は本人の責任。

 

技術を突き詰める過程で真摯に自分に向き合い、優れた人物に教えを乞い、また修行を続けていく。

その結果として人格が磨かれること「も」ある。

 

そしてそんなことは、スポーツの世界でも普通に存在するはず。

武道の場合、生きるか死ぬかという極限を、稽古の中で表現することができれば、宗教に近い世界観の高みに到達することができるが、それは本当に限られたレベルの人達の話。

 

だからこそ名人として、体格を活かした豪傑より尊ばれた歴史があるのだ。

しかし、注意しなければならないことがある。

 

豪傑でも強いものは強い。

名人・達人が必ずしも豪傑より強いというわけではなくて、同じ強さなら名人・達人の方がより尊いと考えてきた日本人の価値観の話でしかない。

 

そこを勘違いすると、技術偏重の歪んだ世界観になってしまうのだが、そういう世界観に生きている関係者は多いんじゃないかと思っている。

何事もバランスをとって、冷静に見極めたいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

既に答えが出ている話

こんな本を読む。

 

「新しい日常」ということで、在宅勤務だとかの他に、「ジョブ型」だなんだと喧しい。

労働関係においては信頼のおける濱口先生ということで、原著は2012年だがその後も版を重ねている本書を読む。

 

2012年といえば、派遣社員の処遇やブラック企業問題に光が当たり出した頃。

当然その辺りにも言及があるけれども、10年経ってあんまり解決した感が無いのはなんだろうなと思わされる。

 

然るべき立場でちゃんと研究を続けている人からすれば、問題の原因は明らかだけれども、社会の担い手である我々が学んでおらず、前に進まない。

日本の労働問題はそういうタイプの話が多い様に感じている。

 

ところで、本書の冒頭で、濱口先生が(社会科学において)正しく姿を捉えるには歴史と国際比較、と仰っているのが印象的だった。

非常に説得力があると感じたので、何かにつけても「歴史と国際比較」を意識しながら見るようにすると、理解が深まるんじゃなかろうかと思った。

 

この国で働く全てに人たちが、一度に目を通してくれたらと願ってやまない。

まぁ、ご参考ということで。