人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

どんな簡単なことにも方法がある

とりあえず本の紹介から。

 

初版は2003年という事なので、出会ったのは20代の頃。

格闘技ブーム真っ只中、それはグレイシー柔術旋風真っ只中という事なのだが、そのスターであるホイスが護身術の本を出すなんて、という意外な印象を持ったことを覚えている。

 

今は無くなってしまった神保町の書泉ブックマート地下一階の格闘技コーナーで本書をパラパラめくっていて、本書のあるページに目が止まる。

尻をついて座っている状態から、敵が襲って来ようとする中で安全に立ち上がる、というもの。

 

考えていただければわかるが、普通人間は尻をついて座った状態(胡座でも体育座りでもいい)から立ち上がろうとすると、重心の関係で頭を前に出さなければならない。

しかしそうなると、一番守らなければならない頭を、敵の方に突き出す格好になるので非常に危険。

 

さぁどうするか?

ずっと合気道をやっているわけだが、基本は正座。

 

正座から立ち上がる時というのは、そのリスクは無い。

だから武道では正座なんだろうが、それ以外の状況から立ち上がるなんて考えてもみなかったし、当時の小生は、立ち上がるなんて簡単なことにも、こんな有効なテクニックがあるんだと、深く深く感動したのである。

 

そして十数年の時を経て本書を購入し、穴の開くほど読み返している。

師匠の教えがあるので、見るだけでも結構な感覚は掴めるし。

 

そういえば師匠から教わったことも、立ったら座ったり、歩いたりというところからだった。

そしてそんな教えを娘に伝え、もちろん本書の立ち上がり方も、先日叩き込んだばかり。

 

さて、果たしてその方法とは、プレミアムがついた本書の中古本を買っていただくか、小生に聞きにきていただくか、としてほしい(笑)。

もちろんブラジリアン柔術の道場でも習えるかもしれないけど。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

面白がる力

人生40数年も生きていると、色々な話のネタを持っているわけで。

面白いことも、ビックリするようなことも、ちょっと怖いと思うようなことも沢山あったし、これからも遭遇し続けるんだと思うけれど。

 

こんな本を読む。

 

世にも奇妙なマラソン大会 (集英社文庫)

世にも奇妙なマラソン大会 (集英社文庫)

  • 作者:高野 秀行
  • 発売日: 2014/04/18
  • メディア: 文庫
 

 

 

小生がちょくちょく読んでいる著者による世界中で遭遇した冒険譚(?)をいくつかまとめた一冊。

タイトルの「世にも奇妙なマラソン大会」というのは西サハラの砂漠を走るマラソン大会に参加した時の話。

 

他にも国外退去処分を受けたインドに入国するために改名しようとする話とか、よくもまぁこんなに、というくらい面白いネタが多数。

こんなにいろんな事件が起きるのでは、毎日大変だろうと思うのだが、こうやって読者に楽しみを提供できるのだから、素晴らしいことである。

 

やっぱり「事件」に遭遇するためには、そういう機会を求めて動かないとダメだろうなと。

色々首を突っ込み、やってみて、失敗したり、たまに成功したり。

 

また、そういうプロセス全体を楽しむ。

スタンスの問題だと思うのだが、こういうことができる人は、本当に楽しい人だと思う。

 

まだまだ面白いこと、たくさん転がっていると思うんだよね。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

我々は人材の評価などして良いのか

ビジネスメディアでは「ジョブ型雇用」の話題をよく見るようになった。

ほとんどの論調が欧米の雇用形態とは違う、ベタベタの日本型をコネ繰り返しているので辟易するのだけれど。

 

それはまぁいいとして。

欧米型の雇用って、日本で言えば非正規雇用、アルバイトや派遣社員みたいな感じが大多数なわけです。

 

人事評価も、そのジョブに対する成果、それも時間通りに来て、やれと言われたことをちゃんとやったか、みたいなことが中心で、ボーナスだってたいして払われない、という人たちがほとんど。

で、日本型である。

 

日本の人事評価って、時間通りに来てやれと言われたことをちゃんとやったか、という評価もあるんだけれど、「戦闘力」の評価をするところがあると思っている。

「こいつはデキるのか」「ポテンシャルがどれくらいあるか」みたいな、ドラゴンボール的な測定と、マンガそのままのような成長を期待するような節がある。

 

でね、そんな評価って、本当に我々できるんでしたっけ、と思うのです。

評価者も含めて皆で同じ仕事をしているならまだしも、みんなバラバラの業務について、評価者も現場実務を完全に把握できていない現在の職場において、その人が「デキる、デキない」なんて言い切れるんだろうか。

 

今の仕事で成果を出してくれていたとして、それは今の役割にハマっているからであって、他の仕事でそうなるとは限らないし、それは成果が出てない人も同じで。

いやいや、汎用的な成果に繋がる態度やスタンスというのは確かにあるけれど、それって性格を評価しているということでしかないし、やっぱりその時の本人の状況や周囲との関係にも影響されるし。

 

変数や不確実性が高い「能力」を、どこまでいっても印象論に偏りがちな、バイアスバリバリの我々が評価して、その人のキャリアや給料を決めていいんでしたっけ、というのを常々感じている。

この辺りは、各人の業務の多様性、個人の多様性が広がった昨今、ますます問題視されることになるんじゃないかと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

日経新聞を読まなくなった理由

小生は新卒で銀行に入社している。

当然の流れとして人事からは日経新聞を読むことを求められ、一面から株式面に至るまで、毎日チェックする日々が始まる。

 

新人研修で市場関係部門の偉い人の講話があり、アメリカ大統領選挙と為替の関係という、今思い出しても知的興奮を刺激される話を聞いてからは、積極的に国際政治情勢も知りたくなり、「選択」とか後に「FACTA」とかも購読するようになる。

広く情報も収集するようになるが、だんだん仕事も覚え、会社や業界の状況が掴めるようになってくると、今度は日経の記事に違和感を覚えるようになった。

 

自分たちが所属する銀行や証券業界についての記事に「これちょっと違うんだけどな」「それって日経の見立て、日経が考えるストーリーに都合が良いところを拾ってるだけでしょ」と思うことが多くなったのである。

皆さんもそう思うこと、あると思う。

 

そんな違和感を感じつつ、銀行を辞めた後も購読は続け、人材の世界に飛び込んでしばらくしたある日。

日経の人材業界について書かれた記事を目にして、「これちょっと違うんだけどな」「それって日経の見立て、日経が考えるストーリーに都合が良いところを拾ってるだけでしょ」と思ったのである。

 

「あれ?これ銀行の時も思ったな」

「なんだ、どの業界についても、中の人からすればイマイチなレベルの情報しか書いてないんだろうな、きっと」とすぐに思ったのである。

 

これは「読んでいる人が多いから話を合わせるために読む」ものであって、内容は当てにならないメディアなんだと気づいた瞬間であった。

時と共に、新聞を読まない世代の人たちが増え(そういう業界に居たというのもあるが)、話を合わせる必要も亡くなった数年前から読むのをやめた。

 

それでも遅すぎたと後悔しているくらい。

今はいろんなメディアがあって、業界の中の人がブログや無料有料の記事で自由に深い話を発言できる時代。

 

真贋の見極めは経験を要するが、そこを押さえすれば、かつてでは考えられないほどの量と質で情報を得ることができる。

良い時代になった物である。

 

まぁ、ご参考ということで。

わかっていたのに避けられない

昨日の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の続きなんですけど・・・。

読んでいて「おー・・・」と思ったことがもう一つあった。

 

それは「今後の日本の課題」として、社会の成熟化に伴うニーズの分散、超高齢化、成長率の低下、周辺諸国の追い上げへの対処、といったことが列挙されていたこと。

なるほどすでに予見されてたわけで、実際その通りになり、現在に至っている。

 

人間の習い性として、わかっているのにネガティブで重いテーマには上手く対応できない、というのはあると思う。

長期的な論点ならなおのこと難しい(地球温暖化とかね)。

 

40年前の書籍で指摘されていたことに対して、40年後の感覚からすると、上手く対処できていないように感じてしまうけれど、「もっと上手くやれたか」というと結局難しかったんじゃないかと思うし、(適切に反省はすべきだが)今更ガチャガチャ言ってもしょうがないような気もする。

40年前に分かっていた話を今更大騒ぎするなと(苦笑)。

 

ただ、はっきりしている事は、本書の例のように、部分的には将来の予測はしっかり立てられる、ということ。

だから、しっかり地に足をつけて冷静に見通しを立て、それに対して備えをするというのは、個人レベルでも組織レベルでも十分可能だと思う。

 

そこまで予測しても、やっぱり避けられない、ということは大いにあり得るが、ソフトランディングには持っていけるはずだ。

そして「地に足をつけて冷静に見通しを立てる」は、自分の力で情報収集をして、しっかり考えることが大事。

 

特に最近の大手メディアは酷いので、メディアに踊るキーワードを追いかけてはいけない、というのは肝に銘じておきたい。

なんで小生が日経を読まなくなったのか、という話はまた今度改めて(笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

良い点を残す難しさ

イノベーション関連の本を色々読んでいて、かつての日本はどうだったのかなと思い、一応読んでみた。

 

本書を知らない人も多くなったと思うのだが、戦後の高度経済成長を経て飛躍的に躍進した日本の社会・文化の調査を行い、当時のアメリカに「警告の書」として上梓された本である。

原著の出版が1979年だから、もう40年以上前。

 

「昔はこんな風に称賛されていた時代もあったのだ」という文脈で本書を引き合いに出す場面には何度も遭遇したのだが、こういう本こそちゃんと読んでおいたほうが良い気がして、手にする。

確かに古い時代の話だし、訳者後書きでも書かれているが褒め過ぎの感はある。

 

それはともかく、読んで感じたことのひとつは、美点として著者が指摘してくれたことを、我々は結構捨ててきたなぁということ。

勤勉さ、仕事に対する情熱、仕事も人生も楽しむスタンス、地域や家族との繋がり。

 

ウェットな人間関係は小生も苦手だが、勤勉さとか、仕事に対する情熱とかね。

「人生を楽しむ」って、どの日本人の何を見たんだろう、とすら感じてしまう。

 

良い点が失われてしまったのは、なんらかの理由はある。

良い点だからといって、それだけで無条件に存続するわけではなく、きっと努力が必要なのに、それを忘れて取り組んでこなかった、ということなんだろうな。

 

良い点を残すにも努力が要る。

心しておきたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

結局は「やるか、やらないか」

こんな本を読む。

 

まぁ、新規事業のお手伝いをそれなりにしてきたので、必然的に読まなきゃいけないジャンルの本ということで。

内容に特に異論を挟むつもりはない。

 

著者もなんとか日本企業のイノベーションをという思いがあって本書を記したのだと思う。

ただまぁ小生も色々なクライアントと、それこそ色々あったわけだけれど、結局は「やるか、やらないか」に行き着くんだよね。

 

三階建ての組織だろうが両利きの経営だろうが、方法論は色々あるけれど、やらないと意味がないし、それも単発ではなく、失敗してもしぶとくやり続けることが大事で。

本書にも言及があるが、「今日は勉強になりました」で終わりにするのは、いい加減にやめたらいい。

 

しなくていい失敗はもちろんある。

そのために方法論を勉強したり、事例研究をするのは構わないけれど、その勉強で実行時期が遅れるのであれば、今すぐ勉強はやめて、実行に移すべきだ。

 

新しいことにどんどんチャレンジすることで、上手に失敗する術を身に付ければ、大怪我をせずにチャンスをそれだけモノにすることができる。

そんなスタンスで取り組めないのなら、新規事業は諦めたほうがいいと思うんだけどなぁ。

 

まぁ、ご参考ということで。