先日に続きこんな本を読む。
稀代の名人、志ん朝が若くして亡くなった後の落語界の動きを追った評論である。
表紙のビジュアルが凄いが、著者はロック専門誌の編集長でありながら落語評論もするという、それだけで凄い人だと思うが。
志ん朝は本当に上手い。
古典落語の名手で、youtubeでいくらでも観られるが、溜息が出るほど上手い。
名経営者が長期政権で組織のダイナミズムが失われてしまうように、落語界もそんな節があったのではないかと著者は分析する。
志ん朝が押さえつけていたわけでは決してないが、あれだけの名手が業界のトップに居れば、中の人はその枠から「はみ出そう」とはなかなかしないもの。
みんな志ん朝を目指す方向に寄ってしまうのだ。
志ん朝の死は、もちろん大いなる損失だったが、それをきっかけに様々な試み、若手の台頭が始まり、現在の隆盛に至る。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチで述べたように、死とそれに伴う世代交代は、生命が必然として持つダイナミズムなんだということを思い起こさせる。
そして本書の終章で著者は、落語と伝統についての論考を述べている。
着物を着て江戸時代から続く娯楽話をする以上、「伝統」の軛からは逃れられない。
しかし、伝統として尊重される「昭和の名人」の話芸だって、アレがそのまま江戸時代から続いていたわけではなく、目の前の昭和の観客にウケるよう名人達が工夫を重ねた結果でしかない。
「伝統」とありがたがるものこそ、実は密かな革新の積み重ねで成り立っている。
そこを忘れてはならない。
師匠もかつて「栄華を極めた文明は衰退あるのみ」とおっしゃっていた。
自ら革新を、伝統を打ち壊すことができるのか。
まぁ、ご参考ということで。