人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

イチローの引退にあたり個人のキャリアについて考えたこと(その2)

昨日はこんなエントリーを書いた。

dai19761110.hatenablog.com

 

個人的にかなり感傷的になりつつ、ではあったのだが、球団運営側ならどう考えるのかというと、全く違ってくるのである。

小生が球団経営に関わる立場であれば、まずもってイチローがいなくても、ワールドシリーズに出られるチーム作りを要請すると思う。

 

それを前提にした上で、卓越した能力を持つスター選手が何人か居れば、優勝争いに加わることができ、何割かの確率で優勝することもできる、という組立を構想する。

あくまでも、スター選手の存否に関わらず、ワールドシリーズに出られるチーム作りが「やるべきこと」で、スター選手の存在は、その先の「伸び代」である。

 

そうなると、個々の選手には最大限の努力を求めるものの、一義的にはチームの勝利に関わるKPIを達成できる選手を優遇することになる。

そして、KPIの概念を超える選手というのは、非常にありがたいけれども、常にその存在をあてにできるわけではないので、評価としては上乗せ部分で報いる、即ち結果に伴う金銭的な報酬で対応する。

 

物凄くドライな言い方をすると、並の選手でも勝てる編成が「正」であり、それ以外の要素はたとえ上振れでもコントロール外となる。

上振れ要素で優勝を狙えても、そういった選手には結果に伴うインセンティブで報いるのが筋だから、長く関係が続けば報酬も上がっていき、最後は移籍金で稼ぐのが「正」となる。

 

そんなことを考えると、能力に自信のある個人は、短期的でも報酬で評価を得る仕組みが大事で、組織に残る意思がある個人ならば、変化するKPIに最適化する動きが求められるのだと思う。

結局、昨日と同じ話なのかもしれないが。

 

まぁ、ご参考ということで。