人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

完璧を目指したその先に

昨日と似たようなタイトルなんだが。

昔、あるコモディティ商品のメーカーをクライアントと仕事していた時のこと。

 

今後どの道に進むべきか、社内で議論していた際、当時の上司が「今の売上100億が500億まで伸びたとしても、幸せにはなれないと思うんだけどなぁ」とポツリ一言。

クライアントは業界のニッチプレイヤーだったが、当時は数十倍規模の老舗メーカーが中国資本に買収されたタイミング。

 

確かにそうだよなぁ、と感心した覚えがある。

今の延長線上で完璧を目指し、業界でも尖った特別な存在になったとしても、業界自体の構造変化には抗うことができない。

 

せいぜい、滅びの美学として物語が一つ生まれるくらいかもしれない。

どんな大きな変化が起きるかもしれない今の時代に、今の延長線上で完璧を目指す怖さ。

 

「まだまだやれる」その思いもわかるし、それもまた真実なのだけれど、その追求でなし得るのは現状をなんとか維持し、衰退を遅らせるところまで。

業界自体が滅びることを止めることはできない。

 

また、昨日のエントリーに書いた通り、完璧を目指す努力は、多くの人を惹きつけ続けることは難しい。

そこに業界の斜陽が重なれば、若くて優秀な人材から抜けていってしまい、ますます難易度は上がっていく。

 

どこまで目指すか、どこを目指すか。

経営の一番難しいところだと思うんだよなぁ。

 

まぁ、ご参考ということで。

完璧を追及すると何が大変か

50点を80点にする努力と90点を100点にする努力では、後者の方が圧倒的に大変である。

だから80点で終わりにすべきだ、という戦略論(?)もよく言われる。

 

100点を目指す努力は何が大変か。

80点、90点まで到達している状態だと、残りは解決困難な問題しか残っていないから、ということはある。

 

困難な問題に取り組むのは、物凄いパワーを要するにもかかわらず、向上するのは数点だから、生産性がどんどん下がるんだね。

もう一つ思っているのは、80点くらいまで来ると、「もういいんじゃね」という怠け心が発生し、それまでほど頑張れなくなる、ということがあるんじゃないか。

 

来年であれば合気道の演武大会の季節なのだが、大会の前日は設営、当日は撤収作業がある。

今でこそしっかり人数を集めて役割を定義しているのだが、以前は道場の関係者を集めてつどつど役割を見つけてこなしてもらうという感じであった。

 

そうなると、まとまった人数が必要な力仕事の際に、当初は声掛けで大勢集まりガンガン進めていくのだけれど、八割くらい進んで終わりが見えてくると、「もういいんじゃね」という感じでパラパラと人が抜けていくのである。

人が減ると、もちろん作業は進まなくなっていくので、残るメンバーが頑張っているのに終わりが遠くなり、辛い感じになっていく。

 

企業経営も多分そうで、ソコソコいい会社というのは、完全を目指しても動きは意外と悪いと思う。

ソコソコいいと、ソコソコ忙しいし、そんな中でさらに上をとなっても「なんで?」「もういいんじゃね」となるし、なんとか動き出しても初めはいいが、だんだん尻すぼみになっていく。

 

トヨタみたいに新卒一括で思考パターンを徹底的に染みつかせていかないと難しいのかなぁ、なんて感じる今日この頃。

困ったねぇ。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

世代交代こそイノベーション

先日に続き、SFの古典に手を出す。

幼年期の終り

幼年期の終り

 

 

アシモフハインライン、クラークを三大巨人と言うらしい。

先日はハインラインを読んで、面白いのは面白かったが、小生が読書に求めているものとは違うと感じていたのだが、本書は何年も積読在庫として鎮座しており、クラークは三大巨人の中でもよりハードコアというWikipediaの解説を目にして引っ張り出した次第。

 

読んでみて確かにハードコア。

先日紹介した「ギャラクティカ」に近いテイスト(というよりギャラクティカが後なんだけれど)は求めていたものに近い。

 

何をどう感じたか、書けば書くほどネタバレに近づいていくので難しいのだが、「世代交代」と「イノベーション」というワードが頭をよぎった。

スティーブ・ジョブズは、あの有名なスタンフォード大学でのスピーチで、死と世代交代こそ生物の最高の発明と述べている。

 

※何度読んでも良いのでリンクを貼る

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/

 

新たなステージに立つのは、いつの時代も次の世代。

今の世代が進化するわけではない。

 

イノベーションを求めるのであれば、次の世代に期待して機会を与えつつ、自らは退くことしかない。

そして本書から示唆を得るとすればその世代交代は、現役世代が求めていたものや、望ましい姿で現れてくるとは限らないということだ。

 

新たなものを求めるのであれば、まず退け。

そして新たな変化を受け入れよ。

 

本書は、そんなメッセージを伝えてくれているような気がする、

まぁ、ご参考ということで。

 

 

雨の日も風の日も

昨晩から吹き荒れる風は今朝も強く、Apple Watchの天気表示では南の風9メートルとの表示。

風が強い日のランニングは辛い。

 

数ヶ月前から毎日5キロ走るチャレンジを続けていて、以前だったら走るのをやめるようなコンディションでも走るようになったのだが、風の日は雨よりも辛い。

雨の日はびしょ濡れになるのだが、それは汗でも同じだし、靴がびしょ濡れになる気持ち悪さは雨の日用の簡易な靴を用意することで解決した。

 

風が今日くらい強いと、風向き次第では前に進めない程になる。

なんとはなればランニングの目的なんて「前に進む」くらいしか無いのに、それができないのが辛い。

 

走る向きが変われば追い風になるけれど、追い風のプラス部分と向かい風のマイナス部分を相殺しても、いつもマイナスの方が大きい感じがして、損した気分になる。

追い風でペースが上がっても、それはそれでキツくなるんでね…。

 

追い風の時に、その風に乗り切る旨さ、向かい風の時に、それに耐えて進み続ける忍耐。

なんだおい、人生そのものか?

 

俺を試しているのか、この風は?

えぇ、たぶん試されているんですよ、と思いながら、毎日走るのである。

 

風も少なく気分も上がるような天気の日というのは、本当に貴重なのだから。

そんな日を心待ちにして、雨の日も風の日も走る。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

名作の条件

こんな本を読む。

夏への扉

夏への扉

 

 

ビジネス書を中心に読書を続けているが、毎年百冊以上も本を読んでいると、ネタが尽きてくる。

古典となったもの、名著と呼ばれるものも良いのだが、インサイトは限られるような気がするし、流行っている本は評価が確定していない分だけ当たり外れが大きい。

 

少なくともそういう本に2,000円〜3,000円を払うのはなかなかハイリスクなので、結局Kindle日替りセールで300円〜400円のソコソコ評価が高い本を乱読する形になっている。

趣味の読書としてはまずまずなのだが。

 

そういう中で、人間の本質を理解することがビジネスや人生においても重要だとすれば、ビジネス書に限る必要はなく、読書の領域を広げようと考えている。

優れたSFには、人間の本質を踏まえた上で、ある種のシミュレーションとして「こういう状況になったらどういう判断をするか、すべきか」という問いを孕んだものがある。

 

何年か前にこちらのシリーズを通しで観て、上記テーマを考えさせられたものである。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FZE9I8Q/ref=atv_dp_share_cu_r

 

興味のある方は、序章と全48話を観てもらうとして、そんな期待があったので、SFの古典・名著と呼ばれる冒頭の本書を手にしたのである。

で、内容としては「流石」というに値する面白さだったのだが、小生がくどくど述べた期待とは異なり、純粋に娯楽として楽しむ類のものであった。

 

なので、楽しめたのは確かだが、求めるものは得られず。

もうちょい色々探してみたいと思う次第。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

成功条件・敗北条件

朝ランニングしていてふと思う。

「コロナに負けるな!」という掛け声はその通りだとして、いろいろ我慢して社会や経済がボロボロになったらそれは負けたんじゃないの、と。

 

ということは、何をもって「負け」あるいは「勝ち」とするのか、曖昧なまま我々は進んできたことになる。

勝ち負けのラインが引けているからこそ、ここまでは我慢して、ここからは緩くするという話ができるのだが。

 

現実には難しい議論だと思うが、不可能ではない。

そして、こういう話は新規事業なんかでもよくある。

 

何をもって成功とし、失敗とするか。

立ち上げた事業に売上が立ち、利益が出ればもうそれは10に1つの凄いことで、充分成功と呼ぶに値するのだが、それを事前に握っておかないと、「思ったほどではなかった」「時間の無駄であった」「本業にリソースを割くべきだった」となり、起案者はバカらしくなって会社を辞める。

 

逆に上手くいかなくても、「一度始めた以上は簡単に引けない」「まだまだこんなもんでは」「アイツがダメだから」となり、起案者はいつまでもダメな仕事から逃れられない。

新規事業は始めるよりやめる方が難しい(なんでもそうかもしれないが)のだが、その話はまた今度。

 

いずれにせよ、成功・失敗をしっかり定義し、そこに至った際のアクションを決めておかないと、いつまでも苦しい思いをするのである。

そういうのは避けたいよね。

 

まぁ、ご参考ということで。

クレームのお作法

人間生きていれば、言うべき時に言わねばならない場面に遭遇する。

でま怒るのはよろしくない。

 

怒ったその瞬間はテンションが上がって気持ちがいいけれど、思わぬ反撃を喰らうとか、結果的に本来の問題解決にならないとか、ロクなことにならない。

おすすめは「ベキ論」、理想像を共有した上でそのギャップを突くというやり方である。

 

出されたラーメンに髪の毛が入っていたら、そこをひたすら責めるのではなく、優れたラーメン屋としてあるべき姿ではないんじゃないか、みたいな。

意味不明なので例を変える。

 

取引先のお行儀が悪い社員が居て、相手方にクレームをつけたい。

上司にアポを取って理詰めで問題点を突き詰めても良いが、面倒な客だと思われて取引を引かれても意図した展開にならない。

 

上司に対して、あるべき両社の関係性とはこうではないか、そのためにこちらはこういう努力をするが、そちらはどのような在り方が良いのか。

それを踏まえて現状はどうか。

 

それはお互いの理想に近いのか、担当者の振る舞いはどうなのか。

お行儀の悪い社員の成長や、あるべき姿を考えると、改善を図るべきなのではないか。

 

クレームが提言になる、そんな変化球によってこちらの意図を実現する。

反論を許さないポジティブな提言で相手に行動を促す。

 

時々使う手の一つ。

ねちっこいね(笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。