人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

必要にして最小限の仕事

無駄がない、というのはとても美しい。

アスリートの肉体を思い浮かべる人もいるだろうし、武道や格闘技の技もまた、無駄がなければ無駄がないほど美しい。

 

無駄がないというのは、言い換えれば「必要にして最小限」ということだと思う。

「最低限」だと、ギリギリ効果がある範囲、という感じで、余裕がないところになんとか効果があるところまで積み上げて、というニュアンスが感じられ、貧乏臭くて違うと思う。

 

「最小限」は、余裕があるけれど、削ぎ落としてコントロールした、という感じがある。

アプローチの方向が真逆なんだな。

 

それはまぁ良いとして。

そんなわけで、武術家たるもの普段の仕事も「必要にして最小限」を密かに追求している。

 

残念ながら会社においては「やってる感」を見せた方がいいような気もするので「密かに」なんだけれど(苦笑)。

もちろん、生産性の観点から「必要なして最小限」は優れているんだけど、たとえば資料作成なんかは、無駄が多いと誰も読んでくれないし、無駄ゆえに伝わらなくなるというデメリットもあるわけだ。

 

そんなポリシーで日々働いていたのだが、昨日ハッと気付かされた。

個人的にはサマリーに近いスライド一枚作ればいいんじゃないのと思ってメンバーに任せていた資料作成のレビューの際、メンバーが持ってきたものが8スライドから9スライドくらいあったのだ。

 

しまった、アウトプットの認識合わせが甘かったな、申し訳ないことをしたなと思ったのだが、なかなかどうして、確かに過剰だけれども、あっても良いスライドだね、というものが複数。

提出する場においては、それほど重要な議案ではないのだが、あんまり詳しくない参加者に背景まで伝えようとすると、これくらいの方が良いかもしれない。

 

当然そういうことをしてくるメンバーは優秀なのだが、それゆえに「お前ほんとはそれが主張したいから長くしたんやろ〜」という「仕込み」もあったりする。

うーん、その「仕込み」に乗っかってやるかどうか、上司としては悩ましい。

 

ここで乗らないとモチベーションを害するだろうが、必ずしも正しいとはいえない。

そんなマネジメントの悩みと、「必要にして最小限」は奥が深いなと思わされた出来事なのでした。

 

まぁ、ご参考ということで。