人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

ナレッジマネジメント考

もうかれこれホワイトカラーの現場仕事を20年くらいやっているのだが、これまで「ナレッジマネジメントに取り組みたい」「取り組んでいる」「かつて取り組んだ」という場面に、何度か遭遇したことがある。

そして多分、今後も遭遇すると思うので、その時に備えて頭を整理しておきたい。

 

①どういう状態を「出来ている」と定義するのか問題

「営業によって言うことが違うのを揃える」というレベルは、よもやナレッジマネジメントとは呼ばないと思うが、「トップセールスの能力を全員に移植したい」はちょっと無理筋だ。

 

②何を「ナレッジ」と呼ぶか問題

情報の価値は人や時勢に応じて異なる。大つかみで理解できる人もいれば、書き起こしレベルじゃないと意味がわからない人もいる。そもそも座禅だけで悟りの境地に達する人もいるのだからナレッジは本当に必要なのかという意見も出ることがある(座禅は冗談としても)。

 

③学ぶ側の意欲問題

小生は武道の経験が長いからか、「技は教わるものではなく盗むもの」という感覚が強い。自ら学ぶ意欲がない人間に、どんなに貴重なノウハウを展開しても無駄になることがある。

脱線するが、「ナレッジマネジメントをやろう」という背景には、自ら学びにいって成果を出してきた人たちが、「ナレッジを展開すればもっと良くなるのに」という「出来る人ゆえの課題意識」があるような気がする。

 

④「ナレッジ」の客観性問題

小生が武道の修行・指導の場面で気をつけているのだが、教える側の正解が、教わる側にとっても正解であるとは限らない。特に感覚の部分や暗黙知のような部分は、実は師匠の言葉とズレていることが多く、小生も苦労した。だから結局「盗む」しかないのかもしれない。

 

手順・マニュアルを整えておくことは、ナレッジマネジメント以前の問題として整えておくべき。

商品知識は当たり前として、ライバル情報・業界情報が揃っていれば尚良く、顧客情報もあれば素晴らしいが、いずれも「それ以前」の問題。

 

そもそもここまで整えておけば、組織として一般的なパフォーマンスは出るはず。

ナレッジマネジメントを志向するということは、さらにその上を目指すということ。

 

先の論点を整理していけば、きっと良いナレッジマネジメントが実現できるはず。

まぁ、ご参考ということで。