人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

業務と育成

日本の会社というのは、右も左も分からない学生を採用して一人前に仕立てるという素敵な仕組みがある。

自分もそうやって育ててもらった。

 

育てる側に回って、つくづく難しい仕組みだなぁと日々感じている。

いま、目の前に達成しなければならない業務がある。

 

その仕事を経験の浅い若者に任せる。

当然至らない点があるので指導し、できるまでやり直させる。

 

それはまぁ良い。

育成だ。

 

時間がかかるのも、「結局俺が作ってるのと変わらねぇじゃねぇか!」というのも仕方ない。

「こんなに一生懸命教えているのに全然やる気を感じないし育つスピードがおそすぎる!」というのも仕方ない。

 

ここらへんは子育てと一緒なので。

ちょっと悩むのが、最短距離で成果を求めるなら不要だけれど、知識や経験としてはここまで知っておいたほうが良い/できたほうが良い、という要求。

 

要らないといえば要らないんだが、一生使わないかと言われればそうとも言い切れない。

そこまでのボリュームをこなし切ることで効率的な仕事の進め方を考えられたり、「大変な仕事」「大変な状況」という限界値を上げることができたり。

 

でも目の前の結果だけを求めればそこまでは必要ないので、どうしても余計な時間とパワーを使うことになる。

それをやらせるべきかどうか。

 

子育てだとそこまでシビアな局面はなくて、遊びの経験、社会経験をどう積ませるか、という論点はあるけれど。

東洋大学陸上競技部アメリカ合宿をやった話を聞いたことがあるのだが、それと似ているかもしれない。

 

目先の結果だけを求めれば、海外なんか行っている場合じゃないけれど、異国の地でレースに出ることで結果的に結束力が高まるとか、指導者が意図しない形で選手たちが何らかの経験として受け止めてくれるとか。

確かにそんなことはあると思うけど、その決断はほんと難しいなぁ、なんて。

 

まぁ、ご参考ということで。