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一般教養を深めるという観点から、Kindle日替りセールの時にポチっておいたのだけれども。
娘の学校が仏教系(浄土真宗本願寺派)ということもあり、一応頭に入れておこうという狙いもあったが、このタイミングで手に取った深い理由はない。
自らも僧籍がありつつ、仏教研究を専門とする著者による、一般人に向けた大乗仏教についての平易な解説書。
講師と学生の質疑応答形式をとりながら、大乗仏教の概説、代表的な宗派の概要、昨今の仏教研究の論点と今後の行末まで網羅した意欲的な内容である。
まず、大乗仏教が仏陀の教えとは異なる、という出発点から「おっとびっくり」である。
大乗仏教・小乗仏教(上座部仏教)なんていうのがあるのは知っていたが、あくまでキリストの教えをベースにしたカトリックとプロテスタントの違いみたいなものだと思っていた。
ところが、である。
仏陀は大乗仏教が主たるターゲットとする在家信者というものを、そもそも認めていないというではないか。
在家を許容するという解釈変更から大乗仏教はスタートしており、概ね既存宗派とハレーションがなければ解釈の幅を許容するという判断が、古代インドでなされたところから、これだけのバリエーションを生んでしまう流れとなったそうだ。
発祥の地のインドではヒンドゥー教の教義を取り入れてしまったが故に、存在意義を失って淘汰されるところまで進んでしまったようだ。
ちなみに日本の宗派にもヒンドゥー的な要素が残ったものがあり、スティーブ・ジョブズにも影響を与えた鈴木大拙の主張もその一つ(彼の語る大乗仏教はヒンドゥー的であると批判もされたようである)。
そして、近時の研究で著者が注目しているのが、東アジアで拠り所となっていた、インド発の古典が、実はインド発の名を借りた中国の一宗派オリジナルであるというもの。
中国・韓国・日本の大乗仏教諸宗派の根底が覆る研究なのだが、さてどう出るか。
個人的には、これだけの解釈変更を許しても尚支持を得てきた大乗仏教であるから(著者もその意義は本書を通じて肯定している)、拠り所の古典が怪しかったとしても、もはや大きな影響はないんじゃないかと思う。
結局、それを求める人がいる以上、経緯はどうあれ成立してしまうというのは、マーケティング観点でもあり得る話だと思う。
ともかく、不勉強を恥じ入るばかりだが、およそ仏教というのが、ここまで仏陀の教えから距離があるものが含まれているとは思わなんだ。
まぁ、ご参考ということで。