人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

イノベーションは思いもよらない方向から

本日、ある勉強会に参加して、こんなことがあるのだなと感心した話。

国土交通省による「健康医療福祉」に関する取り組みについてである。

 

厚生労働省ではない。

「あの」国土交通省である。

 

内容としては、改めてコンパクトシティ関連の話なのだが、単純に一箇所に寄せようとするのではなく、人口密度にフォーカスしていて、一定の人口密度が確保されないと、そもそも商業が成り立たないので、地域の拠点が失われるというのが一つ。

 

地域の拠点が失われると、住民は外出しなくなり、歩かなくもなるので、病気になりやすくなる。

コンパクト化していれば訪問医療・介護の運営も当然楽になるし、行政コストも下がる。

 

なので、予防医療、疫学的な観点と、ストック活用、民間活用を絡めた方法論で、都市の再設計を図っているのだそうである。

これは厚生労働省をウォッチしていた立場からは思いもよらない観点で、説明を聞けば大したことないと思われるかもしれないが、正直「へー!」であった。

 

社会課題の解決には、いろんなアプローチがあるものだと、心から感心したし、柔軟な発想は常に意識しておきたいものだと再認識した次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

戦略なのか?外部要因なのか?

今日はこんな記事を読んで、大変に考えさせられた。

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1709/27/news010.html

 

日本でも拡大中のコストコホールセールは、本国アメリカでは良い雇用主として表彰されているのだそうである。

詳細はリンク先をご覧いただきたいが、従業員の満足度を高めることでサービス品質が上がり、顧客満足度も上がるという好循環。

 

まるでかつての日本企業そのものではないか?

日本人にとってコストコは「コト消費」の様相を呈しているが、本国では一般的な小売業に過ぎないはず。

 

業績も拡大中とのことで、そういう意味では人事制度も包含した企業戦略が優れていると言えるのかもしれない。

しかし、従業員満足度を向上させる類の戦略は、各社取り組んでいるはずだ。

 

会費収入が収益を下支えしているとも言われるが、福利厚生を手厚くしてしまえば、それも何処まで効果があるのか謎である。

「神は細部に宿る」とも言うから、彼らの一挙手一投足といった細部に戦略は宿っているかもしれない。

 

一方で、彼らが軸足を置く市場が、成長余力がまだまだある、というだけのような気もする。

もちろん、寄って立つ市場の選択そのものを戦略と呼ぶ考え方もあるから、外部要因のみが成功のポイントと断じる訳ではないが、少なくとも従業員満足度は、好調の必要条件かもしれないが、十分条件では無いのでは。

 

日本企業で衰退を経験した身からすると、純粋にそう思えて仕方がないのである。

まぁ、ご参考ということで。

閾値を越える

イノベーションとその周辺においては、いかにティッピングポイント(閾値)を越えるか、について議論されることが多い。

キャズムを越える話と同じと言ってもいいかもしれない。

 

ティッピングポイントについては、こちらのリンクを引用する。

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0710/01/news028.html

 

2000年の本だから、引き合いに出される事例が既に古いのだが、色々ヒントがありそうな気がする。

インフルエンサーマーケテイングだったり、ストーリーだったり、新しい価値の訴求とも言えるのかもしれない。

 

ポイントはやはり、時代の変化とともに「実は色々不具合が出てきた習慣」「実は無茶苦茶便利になる習慣」なんかを掴めるかどうかなのだろう。

その辺がうまく狙えると、実は閾値というのは、思っているより低いのではないかと思っている。

 

社会変化を起こすというと、過半数を取りに行かなきゃと思いがちだが、パレートの法則の2割、いやもっと少なくても、結構なインパクトが起こせるのではないだろうか。

極端な発想だが、もう一つリンクを引用。

 

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20170926_T1

結果はあまり見えないかもしれないが、時流に乗った変化は、確実に社会を動かすのだと思う。

 

そんなことにどんどん取り組んで行きたいものであるが。

まぁ、ご参考ということで。

 

スランプの抜け方

タイトルでこんなことを書いておきながら恐縮なのだが、正直なところ小生はスランプになった経験がない。

いや、あるんだけど忘れているだけかもしれない(笑)。

 

そもそもスランプというのは、特定の評価軸で長年結果を出し続けていた人が経験するものであって、小生のように一定期間で環境を変え続け、結果も大して出していない人間には、縁のない話かもしれない。

ひとつだけ持論を申し上げておくと、環境を変え続けるというのはポイントだと思っている。

 

同じことをやり続けていると、上達レベルが一定になった段階で惰性が入る隙が生まれてくるし、「当たり前」が多くなると考える能力を失ってしまう。

そうなると、自分自身や環境が変化しているのに、その変化に気づくことができず、だんだんとズレていき、結果が出なくなるというか、面白くなくなってしまう。

 

トップアスリートなんてまさにそうだが、現役を長く続けられる人ほど、年齢とともに練習メニューを組み替え、よりストイックになっていくもの。

それが続けられるのは、本当に一握りだから、偉大なのだ。

 

仕事においても、昨日と同じ今日、去年と同じ今年を送っているようでは、早晩行き詰まると考えている。

最後に心温まる記事をシェア。

 

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20170920_P

まぁ、ご参考ということで。

キャリアの成長に男女の違いはあるのか?

人のキャリアに関わる仕事をしていた関係で、関連の記事は人一倍読んでいる方だと思う(余談だが、今コンサルの主業となっている新規事業関連でも、起案者の自己実現という観点は極めて重要だと思っている)。

今日もこんな記事を目にした。

 

http://next.rikunabi.com/journal/entry/20170922_D2

「女性が仕事力をつけるために」というタイトルで、ざっくりサマると、「いやいや、私なんて…。」をやめましょうという話と、キャリアの偶発性を受け入れるという話、育児のためのチーム作りという話など。

 

読んで思ったのが、「これは女性だけの問題か?」という疑問。

「いやいや、私なんて…。」は、男性にも普通に見られるリスク回避行動だし、きょうび育児のためのチーム作りなんて男性も当事者だし(産まないからちゃんと考えてこないだけで、子供を持てば否応無しに巻き込まれる)、キャリアの偶発性は男女全く関係ない。

 

この内容がそれでも「女性向け」として成立しているのだとすれば、それはむしろ世代間ギャップの方が影響因子として大きいのではないだろうか。

「いやいや、私なんて…。」は、謙譲でもありリスク回避でもあるが、会社からの(暗黙の)期待を拒否するニュアンスが含まれる。

 

小生の個人的な体験に依存して恐縮だが、20年くらい前の大企業の雰囲気というのは、個人の遠慮すら許されず、しのごの言わずに従わされるプレッシャーがあったように思う。

そこに敢えて意思表示をすることは、「降りる」宣言をするようなものであり、そこは総合職であれば、男女共通だったのではなかろうか。

 

そういう意味では、いい時代になったということだが、ともかくこれからの時代は、男女関係なく、広く情報を収集し、キャリアをアップデートし続けて、未来にチャレンジするのが大事なのではないかなと思った次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

一点突破の凄み

今日はこの記事に言及せねばなるまい。

monoist.atmarkit.co.jp

 

少々長いが、是非ご一読いただきたい。

世の中にではイノベーションイノベーションと騒がれているが、現実の世界では、リソースも限られ、現場は疲弊し、強烈なグローバル競争の拡大という、絶望的な環境にさらされていることも、実態としてよくある。

 

上記の記事は、正にそのような状況の中、マツダという会社がどの様にブレイクスルーを起こしてきたかという、当事者による振り返りである。

個人的に感銘を受けたところを箇条書きにしておく。

 

・限られたリソースを、ほぼ一箇所に集中したこと

・最も効果のある開発テーマを慎重に選択し、全域に展開できるような優先順位を置いたこと(インパクトの創出)

・メンバーのモチベーションが高まる目標設定と役割分担を行ったこと

・CAEという先進的な手法を全面的に採用し、劇的な効率化を図ったこと

・一般に妥当とされている評価軸ではなく、真の意味で正しい評価軸を設定し、競争のルールを変えようとチャレンジしていること

・それらによって、会社のブランドイメージを高め、経営の好循環を図っていること

 

といった感じである。

ここ10年くらいの中で、経営史に残るインパクトだと思う。

 

心に刻み、明日からの糧としたい。

まぁ、ご参考ということで。

切り捨てる決断は誰のためか

こんな記事があって。

artsandscience-kipling.blogspot.jp

 

キャリアの議論の中では結構一般的な話なのだが、日本の組織はそれほど評価が高くない人に対して引導を渡さないので、結局潰しが効かない人材に仕上がって、みんな不幸になるという。

もちろん引導を渡さないのは優しさであり、それほど評価が高くない人にもやってもらう仕事が山ほどあったという時代背景もあったり、やっぱり文化でもあったりで、メリットもデメリットもあるし、存在する理由も変えられない理由も確固として存在する。

 

この議論は新規事業にも当てはまると思っていて、日本企業の新規事業でよくあるパターンの一つが、当初抱えた事業案を切り捨てられない、というものがある。

起案した当人も、伴走・評価する本社スタッフも、現実問題かなり厳しいという認識が出てきているのに、撤退するという決断が出来ないという状態。

 

これもまた、撤退すると関係者に「傷がつく」のに配慮しての動きなのだが、起案者本人ですら、「切腹して痛いから介錯しちゃってくれ」という心境なのに、周りの配慮もありがたいし、関係者に迷惑がかかるので自分からは言い出せず、「誰か偉い人」が「もうナシ!!」と言うまでひたすら耐えるというのがBadシナリオである。

新規事業について言えば、高速でPDCAを回していく以外、成功の方法論はないのだから、いつまでも終われないのは辛いだけでなく、成功にも近づけないという二重苦でもあったりする。

 

キャリアも結局、早くチャレンジして早く失敗し、再チャレンジをする機会が沢山あれば、どこかのタイミングで、雇う方も本人もハッピーな関係を作れるはずなのだが。

結局のところ、「多産多死」という考え方を受け止められるか、という文化の問題と、周囲の人間が「コイツは今回失敗したけれど、きっと次のチャンスでは上手くやるはずだ!」という愛情を持って人と向き合えるか、というスタンスの問題が問われているように思う。

 

少なくとも「愛情」に関しては、今日からでも、心がけ次第で持てるはずなので、自分も気を引き締めつつ、色々な方にそれを期待したいな、というのは小生のささやかな願いである(苦笑)。

まぁ、ご参考ということで。