人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

切り捨てる決断は誰のためか

こんな記事があって。

artsandscience-kipling.blogspot.jp

 

キャリアの議論の中では結構一般的な話なのだが、日本の組織はそれほど評価が高くない人に対して引導を渡さないので、結局潰しが効かない人材に仕上がって、みんな不幸になるという。

もちろん引導を渡さないのは優しさであり、それほど評価が高くない人にもやってもらう仕事が山ほどあったという時代背景もあったり、やっぱり文化でもあったりで、メリットもデメリットもあるし、存在する理由も変えられない理由も確固として存在する。

 

この議論は新規事業にも当てはまると思っていて、日本企業の新規事業でよくあるパターンの一つが、当初抱えた事業案を切り捨てられない、というものがある。

起案した当人も、伴走・評価する本社スタッフも、現実問題かなり厳しいという認識が出てきているのに、撤退するという決断が出来ないという状態。

 

これもまた、撤退すると関係者に「傷がつく」のに配慮しての動きなのだが、起案者本人ですら、「切腹して痛いから介錯しちゃってくれ」という心境なのに、周りの配慮もありがたいし、関係者に迷惑がかかるので自分からは言い出せず、「誰か偉い人」が「もうナシ!!」と言うまでひたすら耐えるというのがBadシナリオである。

新規事業について言えば、高速でPDCAを回していく以外、成功の方法論はないのだから、いつまでも終われないのは辛いだけでなく、成功にも近づけないという二重苦でもあったりする。

 

キャリアも結局、早くチャレンジして早く失敗し、再チャレンジをする機会が沢山あれば、どこかのタイミングで、雇う方も本人もハッピーな関係を作れるはずなのだが。

結局のところ、「多産多死」という考え方を受け止められるか、という文化の問題と、周囲の人間が「コイツは今回失敗したけれど、きっと次のチャンスでは上手くやるはずだ!」という愛情を持って人と向き合えるか、というスタンスの問題が問われているように思う。

 

少なくとも「愛情」に関しては、今日からでも、心がけ次第で持てるはずなので、自分も気を引き締めつつ、色々な方にそれを期待したいな、というのは小生のささやかな願いである(苦笑)。

まぁ、ご参考ということで。