人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

やはり解説書

個人的な興味から。

 

業界では「プロ倫」って呼ぶらしいね。

本書では敬意を表してそう呼ばないけど。

 

ウェーバーはどのような問題意識で本書を記したのか、その前後の世界でどんな議論があったのか、本書が世に出された後の議論はどんなものだったのか。

そういった内容は原著にあたるだけではわからないし、そういった内容を理解しておくからこそ知識は深まっていく、という意味では、やはり解説書の意義は大きい。

 

原著に挑んでも、正直なところ理解も浅いし、読んでいるそばから忘れていくし、結局「読んだことがある」という無意味なプライドが残っただけだったんじゃないかと思う。

解説書を読んで、原著に挑まないのも微妙な感じだが、知りたかったのは解説書に書いてあったようなことなので、十分と言えば十分。

 

山口周さんが「武器になる哲学」で述べていた通り、古い哲学は現代では否定されている理屈も多く、得られるところはその思考プロセスなので、原著よりも解説書の方が、現代人にとっては意味があると思う。

多分次はニーチェかな。

 

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の前段には、ニーチェの「ツァラトゥストラ」があったようなので。

もちろん解説書を読むよ(笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。