人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

なんで「最初の会社が最終学歴」と言われてしまうのか

今だにアクセスがある昔の記事。

dai19761110.hatenablog.com

 

もう8年も経っちゃいましたか・・・。

そんなことはともかく。

 

「最初の会社が最終学歴」という言葉は、最初の会社の選択が人それぞれである以上、快・不快の感情を想起させることはあるだろうし、就職活動のあり方を、(やはり)受験競争の延長のように誘導する力があるかもしれない。

要するに、不穏当な言葉なのだろうと思うのだが、詳細の肌感覚も含めて一定の納得感があるのはなぜなのか。

 

それが明らかになれば、わざわざ不穏当な発言をする必要もあるまい。

さっさと小生の考えを述べると「一定規模、一定の業歴がある企業で新卒教育を受けると、『当たり前』のレベルが一定以上で担保されるから」。

 

勤務態度、品質、納期、報連相、文書の体裁、業務上のミスの少なさ。

もちろん個人によってムラはあるけれど、一定規模、一定の業歴がある企業で新卒教育を受けると、この辺りの社会人としての「当たり前」のことを、ある程度厳しいレベルで文字通り「叩き込まれる」。

 

この辺が叩き込まれていない人々と働くと、正直「こんなことまでいちいち指導しなきゃわからないかね…」というふうに溜息が漏れるのだが、これは「当たり前」と思っているレベルが違うということ。

そりゃもう異文化コミュニケーションというのが一番しっくりくるくらい。

 

この辺りをしっかり磨いておけば、一生仕事の場面で困ることはないと思うんだが。

あ、余談だが、「最初の会社が最終学歴」という言葉のほかに、「地頭を観るなら大学ではなく高校」という言い伝えもある。

 

そっちの方はまたの機会に。

まぁ、ご参考ということで。