今だにアクセスがある昔の記事。
もう8年も経っちゃいましたか・・・。
そんなことはともかく。
「最初の会社が最終学歴」という言葉は、最初の会社の選択が人それぞれである以上、快・不快の感情を想起させることはあるだろうし、就職活動のあり方を、(やはり)受験競争の延長のように誘導する力があるかもしれない。
要するに、不穏当な言葉なのだろうと思うのだが、詳細の肌感覚も含めて一定の納得感があるのはなぜなのか。
それが明らかになれば、わざわざ不穏当な発言をする必要もあるまい。
さっさと小生の考えを述べると「一定規模、一定の業歴がある企業で新卒教育を受けると、『当たり前』のレベルが一定以上で担保されるから」。
勤務態度、品質、納期、報連相、文書の体裁、業務上のミスの少なさ。
もちろん個人によってムラはあるけれど、一定規模、一定の業歴がある企業で新卒教育を受けると、この辺りの社会人としての「当たり前」のことを、ある程度厳しいレベルで文字通り「叩き込まれる」。
この辺が叩き込まれていない人々と働くと、正直「こんなことまでいちいち指導しなきゃわからないかね…」というふうに溜息が漏れるのだが、これは「当たり前」と思っているレベルが違うということ。
そりゃもう異文化コミュニケーションというのが一番しっくりくるくらい。
この辺りをしっかり磨いておけば、一生仕事の場面で困ることはないと思うんだが。
あ、余談だが、「最初の会社が最終学歴」という言葉のほかに、「地頭を観るなら大学ではなく高校」という言い伝えもある。
そっちの方はまたの機会に。
まぁ、ご参考ということで。