人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

武道とは所作・振る舞いの修練なのでは

昨日初心者向けに指導していて、ハッと気づく。

武道には色々と約束事が多いのである。

 

型稽古の際の「残心」という心がけ(?)を説明していて、そういう闘いの精神を常に心に置くための約束事って、武道にはいっぱいあるよなと。

作法もそうだし、距離感もそうだし、体術の際の「常識」とされるような諸々も、全部闘いの精神を心に置いた所作・振る舞いなんだよね。

 

脇を開けない、顎を上げない、低くあたって脇刺した方が強いとか、腰の高さを変えないとか、蹴らない・貯めないとか、常に四方八方に目を配るとか。

この辺は格闘系なら常識の範疇。

 

そこに残心であるとか、畳の目地を踏まないとか、敷居を踏まないとか、引き戸の開け方とか、小笠原流的な武家作法だったり、武器の扱いや武器を持った時の距離感とか素手との違いとか、そんな感じで所作・振る舞いが決まっていく。

ところで、合気道は試合が無い。

 

それに色々な理屈を述べる人はいるのだけれど、それは置いておくとして、試合というのはその流儀が考える実戦のシミュレーション。

でも、いくら試合が強くても、先人の蓄積たる所作・振る舞いが出来ていなくて、不意にブスッと、となったら意味ないでしょ、というのが歴代の武術家たちの知恵だったんではあるまいか。

 

技術や、試合での勝ちパターンに溺れることの戒め。

そもそも危険なことに巻き込まれないことの推奨。

 

正体なく酔っ払ったり不興を買うことも避けられるのは、全てそういうことだったのかなぁと、自分の中で繋がったのでありました。

武道というのは、武術修行を主軸に置いたライフスタイルのことを言うんだろうなぁと、薄々思っていたのだが、所作・振る舞いを修練し、日常をそれで過ごすことなんだな。

 

そこで強いとか弱いとかの論理に取り込まれたら、その時点で負けるリスクのある世界線に嵌め込まれてるんだよね。

あぁ修行修行。

 

まぁ、ご参考ということで。