人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

コンテンツの消費について

ちょっとジャズを今一度学ぼうと、こんな本に手を出す。

 

本を眺めながら、あれやこれやアルバムを選び、Apple Musicで聞くんだけれども。

発端は「刑事ボッシュ」でジャズを嗜むところから来ているのだが、どうもイメージが違う。

 

サブスクで音楽を聴くというのは、なんとありがたみのないことか。

まさにコンテンツを「消費している」という感じで、形も残らず、記憶にも残らない気がする。

 

食べて栄養を吸収して排泄して。

そんなイメージが一番しっくり来る。

 

本も電子書籍で読むことが多いのだけれど、年間120冊で実体のある本であれば優に2メートルは積み上がるはず。

それだけ場所を取るものを買っていたかというと、多分買っていない。

 

実体であれば買わないものを、電子データであれば買う。

それが良いことなのか、良くないことなのか、考え込んでしまう。

 

心に残る本やアルバムとの出会いは年に1・2回。

買うならそれくらいの機会で良いんじゃないかと思いつつ、試してみなければそれも出会えないわけで。

 

今更昔のスタイルには戻れないんだよなと、わかってはいるけれども立ち止まって考えてしまうのであった。

まぁ、ご参考ということで。