人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

不合理な意思決定

人間は合理的なようでいて、案外そうでもない。

企業組織も合理的なようでいて、案外そうでもない。

 

企業は、特に上場企業は「説明責任」というものがあるから、合理的に意思決定されることが求められるように思うものの、それは「我々はこう思うのだ」という「意思」を説明をすれば良いのであって、「それが本当に正しいかどうか」までは、本来求められていないんじゃないだろうか。

「それは間違っている」と思うのであれば、投資家はその会社の株を買わなければいいし、消費者はその会社の商品を買わなければ良い。

 

それだけの話なのに、説明責任とは「正しさ」を追求することだと考えていて、膨大な終わらない仕事に忙殺されている人が、沢山いるんじゃなかろうか。

時に、新規事業の支援を生業にしていると、「この新規事業をやろう!」という意思決定の場面にも、「やらない」「ペンディング」という場面にも遭遇するのだが、「やろう!」という意思決定は結構不合理だし、「やらない」「ペンディング」という意思決定は、かなり合理的な判断であるように感じている。

 

きょうび、理詰めで組み立てた「新規事業」に、誰もチャレンジしたことがない新規性や、明快に儲かる収益性なんて、あるわけがない(あったら誰も苦労しない)。

不確実で、荒削りで、よくわからないから新規事業なのだ。

 

その意思決定に求められるのは、「我々はこの事業に可能性があると思うのだ」「我々はこの事業をやってみたいと思うのだ」という「考え」であって、「正しさ」では無いはずだ。

小生が新規事業が産まれる瞬間に立ち会ってきて、しばしば感じてきた、「いずれの会社でも、やると決めるときは、結構不合理な意思決定で決まるものだな」という感覚は、新規事業の事業化には「我々はこう思うのだ」という「考え」が必要なのであって、「正しさ」が必要なわけではない、ということを物語っているのではないだろうか。

 

新規事業を「やる」のであれば、「なぜやりたいのか」「やってどうなるのか」という問いが含まれた、「我々はこう思うのだ」という「考え」を明らかにすべきであって、「正しい」意思決定をしようと流れてしまうと、新規事業は「やらない」方向に突き進んでしまう。

そんなことを考えさせられた昼下がりであった。

 

まぁ、ご参考ということで。