人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「組織の壁を越える」 読了 〜ビジネス書は難しい〜

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組織の壁を越える――「バウンダリー・スパニング」6つの実践

組織の壁を越える――「バウンダリー・スパニング」6つの実践

 

 

組織論は個人的に興味がある分野なので、確かKindleのおすすめで紹介され、レビューも高かったので購入した次第。

海外物のよくある経営指南書的なテイストを感じてはいたけれども…。

 

内容は、多様な意見で分断された組織をまとめ上げた事例を紹介しながら、タイトル通り「組織の壁を越える」ためにはどうすれば良いのか、という方法論を分析、提示しているというもの。

方法論を6段階に分け、目指す姿を「バウンダリー・スパニング」という概念で説明している。

 

読了した印象としては、非常にコンサル的というか、事象を切り分けて分析し、それぞれの事象への対処策を積み上げていくというものなのだが、「それ本当に必要?」という感想を否定できない。

違いを受け入れて「膝詰め」で話をすればいいよね、というところを、「バッファリング」とか「リフレクティング」とか、いろいろな段階にそれぞれ名前をつけて論旨展開をしていくのである。

 

ちょっと辛い言い方をさせてもらうならば、「ざっくり」した話を、わざわざ細切れにして複雑化している、という感じである。

合間合間に挿入される図も、意味のある図式とは思えない(スパイラルを描いているが、スパイラル構造になっている論拠は筆者のイメージでしかない)。

 

全体に、おかしなことを言っているわけではないし、そこに異論はないのだが、簡単な話を複雑化しているような印象を持ってしまう。

ちょっと色々な人の意見を聞いてみたいところである。

 

とはいえ、考えさせられたことが一つあって、本書で取り上げるケースというのは、人種間対立とか、もともと別法人だった組織間対立をどう解消するか、という話だったのだけれど、比較的同質性が高い日本の法人の場合、対立が見えない形で進行しているんじゃないか、という心配である。

なんとなくナァナァでコミュニケーションが進行しているように見えて、実は見えない対立構造があるのでは、という話である。

 

ちょっと振り返ってみたいと思った次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

「日本型組織の病を考える」 読了 〜中にいる人にはわからない〜

リンクを貼る。

日本型組織の病を考える (角川新書)

日本型組織の病を考える (角川新書)

 

 

村木次官といえば、ある程度から上の年齢の人は知っているだろう。

厚生労働省事務次官として在職中に逮捕され、裁判で無罪を勝ち取った方だ。

 

何冊か本を出されていたのは認識していたが、読んだことはなく、今回はタイトルが組織に関わるものだったので、思わず手にした次第。

こういう時に、Kindle Unlimitedは便利である。

 

新聞連載をベースに加筆訂正した内容で、かつて巻き込まれた冤罪事件を振り返り、対峙した検察という日本型官僚組織の問題を考察、続いて村木氏自身の来歴に触れながら、現在取り組んでいるプロジェクトを紹介する、という流れである。

本書を通じて感じられる村木氏のお人柄は、本当に親しみやすく良い人なんだろうなと感じさせるが、「日本型組織の病」の内容については「考える」というタイトル通り、エッセイ的なトーン・レベル感でまとめられている。

 

ま、新聞連載が元なら、こんなものかなという程度。

基本的には、「結局はダイバーシティだよね」という至極真っ当な見解である。

 

読んでいて、おぞましいなとつくづく思うのは、村木氏の裁判の後半で、物的証拠が崩れ、有罪のロジックが破綻しているのが明らかになっているにもかかわらず、それでも検察側が懲役刑を求刑するところ。

外から見たときの正しさなど顧みることなく、組織として求刑することにしたから求刑するという、意味のないアクションを実行してしまうところに、闇を感じる。

 

日本型組織にダイバーシティが求められて久しいが、ダイバーシティの乏しい組織は、外から見たらおかしいことに取り組んでいること自体を、なかなか気付けないために、ダイバーシティの必要性をそもそも理解できない、というところが悩ましい。

そういう組織というのは、「他山の石」で気付くのを待つしかないのか、中の人はとっとと辞めるしかないのか、はてさてと思うのである。

 

まぁ、ご参考ということで。

「大坂堂島米市場」 読了 〜市場との対話とは〜

まずはリンク。

 

金融機関に身を置いた人間であれば、江戸時代の大阪に、当時世界に先駆けた商品先物市場が存在していたことは、知っているのではないだろうか。

たまたま講談社電子書籍セールで発見し、なおかつレビューも極めて高かったため、拝読した次第。

 

本書は、経済学史を専門とする著者による、江戸時代の米の先物市場の歴史と概要、及び、折々の出来事に政府である江戸幕府がどのように対応(介入)しようとしたか、という分析をまとめたものである。

一応新書の程をなしているが、文体が平易なだけで、ボリュームと議論の深さは研究書と呼んでいいレベルなのではないか(そういう意味では十分な読み応えである)。

 

いきなり脱線した感想から入って恐縮なのだが、よくもまぁ、こんなにデータが揃っているな、というのが第一印象。

300年以上前の、封建制度時代の金融取引の記録が、研究の材料足りうるレベルで克明に残っているというのが、単純に驚きなのである。

 

価格データ、政府筋や市場関係者の証言、取引を支えるインフラ関係者(相場情報を伝える飛脚等)の記録や、当時の風景を記録した絵画に至るまで、なんでもある。

いやほんと、お江戸泰平は凄い時代である。

 

当時の米の先物市場がどんなものであったかについては、是非本書及び著者による他の書籍を当たっていただきたいが、仕組みとしては現在とほぼ変わらない、完成されたものがあったと思ってもらって差し支えない。

「あぁ、アレがもうあったのか」と感心するのだが、その「アレ」は、当時開発された概念がそのまま現在に活かされているので、感心するという「上から目線」が間違っている、という不思議な感覚を覚える。

 

つくづく考えさせられるのは、江戸が終わり近代化が始まる際に、当時の日本国民は、この米市場も含め、江戸期の文化は丸ごと時代遅れとして切り捨ててしまったこと。

この国の人は、大きな変化の度にこういうことを繰り返していて、ちょっと嫌になる(故に、江戸期の先物市場については、ユダヤ人による「外からの」評価が先にあったと思われる)。

 

もう一つは、著者が末尾で指摘していたが、江戸幕府の金融市場に対するスタンスである。

金融市場は(金儲けの場として)尊重されるべきではあるが、実体としての米価に悪影響を及ぼしてはならない、というスタンスを通しているのだ(実行力を持って徹底できていたかは別として)。

 

本書でも、コンサートチケットの二次流通が引き合いに出されているけれども、自由経済として転売市場が発生するのはもちろん構わないとしても、本当にコンサートに行きたいと思っている人が、買えない金額までに釣り上げるのは問題なのではないか、ということだ。

簡単な話ではないと思うが、江戸期の米市場は、奥の深いテーマを提示してくれているのである。

 

いやいや、歴史に学ぶところは多い。

まぁ、ご参考ということで。

 

ネーミングはモメる

新規事業開発、新サービス開発において、最後の最後に手こずるのが、ネーミングだと思う。

余程の確信があるか、肝入りのプロジェクトでもない限り、ネーミングのところで広告代理店などに発注する予算は、普通ないのではあるまいか。

 

そうなると、企画者自らで考え、会議体に諮るという形になるのだが、ここが結構手こずるのだ。

小生も外部から伴走していて、あまりに苦戦するので、何冊か本も読んだりした。

 

ネーミング辞典 第3版

ネーミング辞典 第3版

 
最新のネーミング強化書 (PHPビジネス新書)

最新のネーミング強化書 (PHPビジネス新書)

 
1行バカ売れ (角川新書)

1行バカ売れ (角川新書)

 

 

「1行〜」はマーケティングケーススタディとしても面白いので、ご興味があれば。

「ネーミング辞典」も面白いのだが、眺めているだけで時間が過ぎていくので、実務向きではないと思う。

 

ネーミングが厄介なのは、多くの会社で意思決定のルールが存在しない為に、最後は偉い人の「鶴の一声」になってしまうことだ。

今のところ小生がオススメしているのは、企画者で一つに決めようとしないこと。

 

多数の(無数の)候補名を絞り込むロジックを偉い人に提示し、そのロジックで絞り込まれた中から決めてもらうという手順だ(フツーだ(笑))。

絞り込むロジックだが、

・機能、特徴、こだわりが反映されているか?

・購買決定権者のプロファイルにマッチしているか?

・商標、景品表示法等、リーガル、コンプライアンス的にクリアになっているか?

あたりだろう。

 

自社の他の商品、ブランドとの整合性も前提として大事だが、そこは殆どの会社で「外す」ことはあるまい。

上記の三つの中で、実務的に重要なのは、二番目の購買決定権者のプロファイルとマッチしているか、だろう。

 

有り体に言えば「顧客目線」なのだが、そこが抜け落ちると、趣味の世界の議論百出の上、偉い人の趣味が勝つ、という痛い展開になる。

そこは避けたいので、必ず上手くいくとはお約束できないが、一つの案として提示したい。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

「ビジネスマンへの歌舞伎案内」 読了 〜歌舞伎愛に押し切られる〜

まずはリンク。

ビジネスマンへの歌舞伎案内 (NHK出版新書)

ビジネスマンへの歌舞伎案内 (NHK出版新書)

 

 

著者の成毛氏は元日本マイクロソフト社長で、ネット上でも論客として有名なあの成毛氏である。

その成毛氏が歌舞伎とは、という意外性もあったし、レビューも高かったので、思わず手にしてしまった次第。

 

日本の武道、武術に関わる人間としても、同じ日本文化である歌舞伎についての知見は抑えておきたいという動機もある。

ちなみにテレビで見た以外に、生で歌舞伎を鑑賞したことはない。

 

本書では、成毛氏が歌舞伎の奥深さ、魅力を思う存分語るとともに、ビジネス的な観点での生かしどころも述べるという体裁である。

とはいえ、成毛氏自身も本書で書いているが、即物的に役に立つかどうかを考えては、こういった趣味のものは続かない。

 

あくまでも教養の一つとして、プラスになることもあるかもしれないと考えるのが妥当だろう。

小生も、合気道をやっていて、ビジネスの入り口部分で役に立った経験は数あるが、役に立てようと思って続けているわけではなく、それと同じということか。

 

しかし、成毛氏の歌舞伎に対する愛情には圧倒される。

本当に好きな人が、思う存分その対象について語る姿というのは、読んでいて清々しい。

 

成る程なと思わされたのは、やはり歌舞伎の楽しみ方である。

基礎知識として、筋や意味を理解していた方が良いとしても、台詞回しまで理解する必要はないと成毛氏は説く。

 

歌舞伎公演自体は、「フェス」のように思い思い楽しむもので、フジロックの海外アーティストが歌う歌詞がわかっていなくても楽しめるように、歌舞伎のそれも、七五調の台詞回しのリズムに酔えばいいと言う。

小生も、それならば楽しそうだと思わずにはいられない。

 

残念ながら、歌舞伎座公演は、有給を取得しなければ観られないスケジュールなのだが、是非一度と思ったし、そう思ったということは、本書の狙いは成功したということであろう。

ご興味のある向きは是非。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

「捨てられる銀行3 未来の金融」 読了 〜「金融の未来」ではない〜

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金融出身で新規事業開発に携わる立場としては、読まないわけにいかない。

ソーシャル上で知人が感想をシェアしていたのも、手にしたキッカケになっている。

 

共同通信記者で、長く金融業界を担当していた著者によるシリーズ三作目(ちなみに前の二作は読んでいない)。

主に地域金融機関の話題が中心なのだが、最近話題になった新しい取り組み(飛騨信用金庫のクラウドファンディング・さるぼぼコインとか)や、問題が噴出した事例(スルガ銀行商工中金の不正)を取り上げ、これまでの問題と、来るべき時代の変化に如何に対応するかを論ずる、という内容である。

 

感想を一言で述べれば、「そういう方法もあるにはあるけれど、根本的な問題解決にはならないだろう」という感じ。

「金融の未来」ではない、と述べたのはそういうことである。

 

不良債権の早期処理を前提とした金融検査マニュアルと、硬直化された運用を是正すべき、という主張は、その通りだと首肯する。

続く、これからは「共感経済」なのだから、地域に根ざして共感の広がりを作る金融を、という提言は、流石に甘い考えなのではないかと感じた。

 

意味がないとは言わないが、理念で救えるほど地域経済、地域金融機関が置かれている状況は甘くないはず。

銀行業というのは、そもそも資金需要がなければ融資は出来ない。

 

住宅ローン・アパートローンに代表される不動産担保融資に進出したのも、リテールの運用商品で荒稼ぎしようとしているのも、マーケットでの債券運用でなんとかしているのも、結局法人の資金需要がなくなってしまったから、そちらに手を出さざるを得なくなった、というのが実態のはずである(そういう意味では、バブル前で既に銀行の役割は一度終わっている)。

著者は「(地域・企業を)育てる金融」と提唱するが、本質的に金融機関は事業のことを理解できないので、情報の非対称性がある中でリスクを取るためには、よほど利鞘が稼げるか、やっぱり担保を確保するしかないのであり、育てるも何もない。

 

他にも色々と申し上げたいことはあるのだが、本書についてはこの辺にしておく。

心理学や組織論の聞き齧りでページを重ねるくらいであれば、手触りのある実態情報をもう少し積み上げた編集にした方が、読み応えもあったし、著者の手腕が活きたのではないかと感じる一冊。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

「石田禮助の生涯」 読了 〜粗にして野だが卑ではない〜

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石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

 

 

実は若き頃に「粗にして野だが卑ではない」という言葉は聞いたことがあり、「かっこいいなぁ」と思ったのだが、まさか石田禮助氏のものとは、本書を読むまで存じ上げなかったのである。

本書は、城山三郎氏による評伝。

 

石田氏は、こんな人。

ja.wikipedia.org

 

明治生まれで戦前に三井物産代表取締役社長を務め、戦後は公職に身を置きながら、70代後半で当時の国鉄総裁に就任する。

「粗にして野だが卑ではない」というのは、この国鉄総裁就任時に、自身を評して述べた言葉だそうである。

 

三井物産時代は、在職時の殆どの期間を海外で過ごし、歯に衣着せぬ物言い、公平で厳しい仕事振りは、畏れられもしながら、非常に人望も厚かったようである。

そのあたりのエピソードが、いちいちカッコいい。

 

自分もこんな風になりたい、と思わせられるのである。

時代は違うし、ビジネスのスケール感も、ほとんどのビジネスパーソンが置かれている状況とは違うのだけれど、経営者として、職業人として、人としてどうあるべきか、良い示唆を与えてくれるのではないかと思う。

 

気持ちの良い読後感の一冊なので、気負わずに読んでいただければと思う。

まぁ、ご参考ということで。