人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

時代の哲学、時代の文学

今日のKindle日替りセールはこの本と他二冊。

 

大江健三郎作品は読んだことがない。

正確にはノーベル文学賞受賞時に書かれた「曖昧な日本の私」は学校の授業か何かで取り上げられて読んだ記憶があるのだが、結局何が言いたいのか理解できなかったと思う。

 

でもまぁいい大人になったことだし、改めて読んでみようかどうしようかと考えレビューを眺めてみると、ボロクソなものが並ぶ。

特に小生の画面上トップレビュアーになっているghostfinder氏のそれは秀逸である。

 

星五つにしている人もいて、せめて試し読みで良いから5、6ページ読んでみろという勧めに従い読んでみたが、小生はきっとghostfinder氏に同意することになるだろうと感じたので、買わないでおいた。

文学作品がどれだけ高尚なものだったとしても、作品とその作家が生きた時代を切り離すことは難しい。

 

難しいというより無理と言ってよい。

富野由悠季にしたって宮崎駿にしたって、学生運動とその根底にあった社会思想と無縁では無く、決定的に感覚が離れている自分には共感できないところがある、という話を昨晩たまたま妻にしたのだが、きっと大江健三郎作品もそうなのである。

 

「哲学も時代の哲学」ということを教えてくれたのは亡き師匠だったが、文学もまた時代の文学。

稀に、時代を超えた本質を貫く作品が現れるので、その登場を焦らず待てばよいのかと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。