人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「心技体×100人に1人」の逸材

なんだか物々しいタイトルなのだが。

駆け出しの人材エージェントだった頃に、当時ご一緒していた大先輩から、「心技体が揃った人材」という表現を教わったのである。

 

なんともまぁ「言い得て妙」とも思ったし、今振り返ると、心技体のどれかを備えた人材はいるけれど、全てを備えた人材は貴重、と仰りたかったのかもしれない。

「心技体が揃った人材」については、以前も述べたことがあるが、出現率が稀なのもあるけれど、一人の職業人生において「心技体が揃った状態・時期」というのが常にあるわけでもない。

 

たゆまぬ努力によって、「心技体が揃った状態」を常に目指すことは大事だが、時に「技」については、時代の要請との噛み合わせもあるので、努力だけではなく運やタイミングの要素もある。

それはともかく、「逸材」を定義するにあたり、「心技体が揃った人材」というのは、多くの人に共感を得られるところだと思う。

 

それで、「揃った」というレベルをどの程度に置くか、なのだけれど、これは個人的には「100人に1人」のレベルじゃないかと思う。

「100人に1人」って、どう比べるねん、というツッコミはごもっともなのだが、これはあくまでイメージである。

 

人材エージェントなんかやっていると、年間で数百人はお会いするので、まぁ「年に数人」というレベル感だと思うとわかりやすいのだけれど。

エージェントじゃない人であれば、「心技体が揃った100人に1人の逸材」と言われて、最初にパッと思い浮かんだ、「その人」がそうだ。

 

「心技体が揃った100人に1人の逸材」と出会えたならば、人材エージェントは何としても良いご縁の創出に向けて頑張らなければならない。 

その人が始めた新規事業であれば、たぶん成功確率は全然違ってくるし、既存事業でもすでに大活躍をしているはずだ。

 

以前、大変お世話になったベンチャーの創業者に、業界中位どころの総合総社出身の方がいた。

その方曰く、「ウチの会社(出身母体の中位総合商社)には、『これは!』という人材が、部に1人は居る。でも三井物産にはそういう人材が課に1人居る。それが違いなんだよ」とおっしゃっていて、そんなもんなのかなぁ、と思ったことがある。

 

優秀な人材のインパクトというのは、企業の競争優位性に直結するくらい大きなものだ。

職業経験を重ねれば重ねるほど、そう思うし、相も変わらず「優秀な人材でありたい」と強く願う次第。

 

そういう人材が集まる会社をいかに作っていくか、これからの企業はますます真剣に考えなければならないのでは。

まぁ、ご参考ということで。

 

「ざっくりわかるファイナンス」 読了

リンクを貼る。

ざっくり分かるファイナンス?経営センスを磨くための財務? (光文社新書)
 

 

新規事業同様、お金周りも、なんだかんだで小生の得意分野とみなされることが多く、期待を裏切らないよう常に知識と理解をブラッシュアップするプレッシャーに晒されて生きている。

ちなみに、筆者の前著「道具としてのファイナンス」は名著であり、アマゾンから本書をレコメンドされたのを機に、読んでみた次第。

 

「道具としてのファイナンス」のリンクも貼っておく。

道具としてのファイナンス

道具としてのファイナンス

 

 

 「道具としてのファイナンス」が、現場で実際に業務として使う人を想定し、Excelでの操作などにまで言及があったのに対し、本書は概念や用語を「ざっくり」解説するという位置付けかと思う。

結局WACCとかCAPMとか出てくるので、どこまで読者のニーズを満たしているのだろう、などと考えつつも、多分これ以上平易な解説も難しいと思うので、取っ付きにくい概念を広く知らしめるというのは、つくづく悩ましい営みである。

 

とはいえ、コーポレートファイナンスの理屈というのは、企業活動を根本から規定するものなので、全てのビジネスパーソンが常識として理解しておくべきことだと思うのだが、残念ながらそうなっていない。

もっと残念なのは、それ故に間違った意思決定や、不要な議論が横行してしまっていることなのだが。

 

本書でも指摘されているが、ファイナンスはカタカナと数式が多いために、多くの人にとって取っ付きにくいのは事実。

本書では、その辺りが最低限に抑えてあるし、数式自体が理解できなくても、理屈はわかるように解説してある。

 

本書を通じて、ファイナンスの概念が世に広まることを願ってやまない。

前著でファイナンスの知識を得、実務で使える術を身に付け、今日に至るまで小生が生き延びられたのも、筆者のおかげと言っても良いので、積極的にオススメしたいと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

「平成関東大震災」 読了

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ちょいと防災関連の調べ物をしている最中に、Kindleのセールで上がって来た一冊。

そりゃ買ってしまいます。

 

いわゆるシミュレーション小説というやつで、本書の場合は新宿都庁で大地震に遭遇した営業マンが、墨田区の自宅に帰宅を果たしながら、いかに震災被害と向き合っていくかを綴って行くもの。

合間合間に豆知識が挿入されており、大変勉強になる。

 

奥付までたどり着いて、なんとも複雑な気持ちになるのは、本書の執筆が2009年、東日本大震災前だということ。

本書の想定が震度6なので、東日本大震災より過酷な状況を想定しているし、それを思うと東日本大震災の時は、まだ東京の被害は少なくて済んだとも言えなくはないのだが、あの時を上回る震災がくれば、こんな酷い事になるのかと思うと、背筋が寒くなる。

 

一方で、震災前からこのようなシミュレーションは存在していたわけで、そういったシミュレーションを踏まえて、当時、何かの備えをしていたのかというと、振り返って反省するしかない。

そして、東日本大震災を経て7年が経過し、あの記憶が早速風化しつつあることを、本書を読んで思い知らされるのである。

 

被害に合う場所によっては、自宅への帰宅が必ずしも推奨されるものではないのだが、自宅の備えを見直すのと、外出時(仕事で自宅を離れている時)の装備品は、改めて手配をしておく事にしたい。

少なくとも、職場もしくは取引先から、徒歩で自宅までたどり着けるための一式は用意しておく。

 

ちょっと考えさせられるのは、2009年の時代背景では、携帯がガラケーだということ。

ワンセグでTVを見て情報収集し、災害用伝言ダイヤルや家族に避難しながら掛けまくるのだが、いまのスマホはTVはないし、電話を掛けまくるとあっという間にバッテリーがなくなってしまうので、さてどうしようかなと思う次第。

 

災害時のネットワークはかなり対策が進んでいるようだけれども、想定外に備えるのがこういったことの本義なので、携帯用ラジオでも買うかどうか、という風に思う次第。

災害イツモ ランタンラジオ

災害イツモ ランタンラジオ

 

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

「悪と全体主義」 読了

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あくまでインターネット上の、だけれども、昨今のバランスを欠いた世論形成に危機感を持ったりしていて、気になって読んだ次第。

本書で援用されている、ハンナ・アーレントという人は、ユダヤ人の哲学者で、第二次大戦時のユダヤ人虐殺の経緯を研究した人である。

 

※参照

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88

 

本書は、ハンナ・アーレントの著作を紐解きながら、第二次大戦時のドイツで、何故あの様な凄惨な事件が起きたのか、社会的背景を紐解いていくものである。

ハンナ・アーレントの原著をあたったことはないのだが、本書に関しては、極めて難解で重厚なテーマを、冗長にならずに、極めて平易に展開していく。

 

社会科学系の書籍は結構読んだが、その中でも特筆すべき平易さであり、それだけで一読に値すると思う。

当たり前だが、平易=内容が薄い、ということではない。

 

個人的になるほどと感じたのは、斯様なユダヤ人排斥の流れは、一朝一夕ではなく、さまざまな仕掛けの中で成立していく土壌が作られたということと、その流れに関わった人達は、特別異常ではなく、極めて平凡な人々だったということ。

今日明日いきなり社会が先鋭的になることはないが、その流れを形作るのは、誰しも加担する可能性がある、というわけだ。

 

本書の処方箋は、結局のところ地に足をつけた、バランスの良い議論、思考を続けていく、ということでしかない。

それを「なんだしょーもない」と思うのか、「今日から気をつけるべき振る舞い」と受け止めるかは、読者の判断に委ねておきたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

「夢をかなえるゾウ」 読了

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夢をかなえるゾウ文庫版

夢をかなえるゾウ文庫版

 

 

何を今更というくらいの、ちょっと前の大ベストセラー。

200万部くらい売れたのだろうか。

 

AmazonKindleを購入すると、無料で本が買えるのだが、その時に「読んだことないな」と思ってポチったまま、4〜5年くらい放置していた(すいません・・・)。筆者の水野敬也氏は、ブログも書いていて、そちらの方は更新のたびにずっと読んでいて、本を読むのは初めてとなる(なお、すいません・・・)。

 

※参照

ameblo.jp

 

本ブログはもっぱら娯楽として消費しているのだが、水野氏がどのようなスタンスでモノを作り、世に問うているか、というのが面白おかしく伝わってくる内容になっていて、本書を読んでいても、「あぁ、ブログで言っていたことはこういうことね」という風に感じたことは多々ある。

それはともかく本書は、しがないサラリーマンの”僕”の前に、過去に多くの偉人たちを導いたという、関西弁を喋るインドの神様”ガネーシャ”が現れ、様々な教えを施し、”僕”が日常の中でそれを実践することで少しずつ成功していく、というストーリーである。

 

関西弁を喋るインドの神様という設定で、すでに笑わせようという意図が満載なのだが、本書は過去のビジネス書やいわゆる”成功本”で語られた、成功のためのメソッドを編集して提示してみせている。

ユダヤ人の教えとか、ロックフェラーみたいな成功本の古典みたいなものから、スティーブ・ジョブズあたりまでの話が出てきていて、それこそ「笑え」「トイレ掃除しろ」みたいなものから、「やらないことを決めろ」みたいな話もあったり、まぁ悪い意味ではなく「どこかで見た話」である。

 

それで、本書の最も言いたかったことは、成功ノウハウもありがたいものだけれど、本当にそれを実践することこそが大事、ということだろう。

なので、実践しなければ、全く価値を産まないのだから、ノウハウそのものは「どこかで見た話」でも別に問題はない。

 

本書は、”成功本”と、それを求める大衆に対する痛烈な皮肉になっているように思う。

手垢のついた成功ノウハウ、成功者のエピソードを面白おかしく引っ張り出してきて、見事ベストセラーに仕立てる。

 

しかし、その本の中では、読者に対して「で、実際キミはここに書いてあること、一つでもやってみたの?」と問いかけている。

流石のプロデュース力である。

 

普通に面白いし、実践すればそれなりに成功すると思うので、興味本位でもご一読してみては。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

新規事業の本当の難しさは「二手目」にある?

クライアントの新規事業と、色々な形で関わっているのだけれども。

我々にお声がかかるくらいなので、クライアントの皆さんは、新規事業には前向きな方たちだ。

 

だとしても、今の企業を取り巻く環境下で、新規事業を「やる」という決断のハードルはそれなりに高い。

「すごく高い」と書きそうになったけど、もっと新規事業に関わる人を増やしたいから、我々のお手伝いでハードルを低くするんだという意気込みも込みで、あえて「それなりに高い」にしておく(苦笑)。

 

しかし、もっと大変だなと感じているのは、「二手目」の決断。

「やる」という決断が「一手目」だとすれば、やりだしてからの、次のアクションにまつわる決断が「二手目」。

 

「一手目」の打ち手や、体制整備がひと段落した後、上手くいっていれば何の問題もないけれど、殆どの新規事業が「想定外」に遭遇する。

「決断」が「重たく」なるのは、「ヒトモノカネ」のリソース投下を決断しなければならないからだが、「想定外」「思っていたのと違ってました…」という時に、さらにリソースを投下するのは、かなり根性がいる。

 

思ったより売れない、という状況で、さらに営業人員を投下してテコ入れを図ったり、新しい営業人員の目から見て改善の糸口を図るなんていうのは、とても大事なのだが、その決断は無茶苦茶大変だと思う。

下手をすれば、損失が拡大するわけだから、最初の一手目より説明責任は問われるはず。

 

さらに、ヒトのリソースを投下するのだとすると、投下する人達への(サルベージプランも含めた)説明責任も発生する。

これを喜んでやる人はなかなか居ないので、結局は言い出しっぺの起案者任せとなり、もう少しリソースを投下していれば勝てたかもしれない事業まで、取り止めになってしまうことも。

 

この辺りを、やはり解決しなければいけないと思っていて、色々考えているのだが、今日のところは一旦問題提起まで。

まぁ、ご参考ということで。