人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

転職市場は今?

ご存知の通り、有効求人倍率とか、労働人口とか、売り手優位の環境が続いている。

人材系事業者の業績も引き続き堅調であり、市場がよく動いていることが推察される。

 

一方で、小生が慣れ親しんだ人材紹介の領域は、転職市場の一部しか反映していないと考えており、全体の動向を把握するのが難しい。

とはいえ、最近なんとなく、業界の動きが少し落ち着いたような雰囲気が感じられるのである。

 

小生が業界を離れて、いよいよ土地勘が無くなってきた可能性が高いが、大物の人事も少し落ち着いたし、大量採用を行なっている業界の噂も聞かない。

昔からのエージェント仲間も、少しづつ業務をシフトさせているし、企業の採用手法だって、メディアやツールも含めて結構変わってきた。

 

そういう意味では、引き続き堅調なものの、少し安定期に在るのかもしれない。

そういう時は、案件の選択肢は狭まるのかもしれないが、落ち着いてキャリアを考えるチャンスではある。

 

もちろんキャリアのことは、いつだって落ち着いて考えるべきだが(苦笑)、転職市場、特に人材紹介の業界というのは、世間に比べて「ゆっくり盛り上がって早めに下がる」と睨んでいるので、安定期にあるということは、ちょっとしたシグナルかもしれない。

これだけの人手不足を考えると、安易な腰折れはないと思うが、社会の変化は間違いなく控えているので、リスクヘッジという意味でも、攻めの意味でも、長い目でキャリアプランを考えたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

根性論は脇に置いておいて

いつの時代も日本の企業は、社員の覚悟を求めがちである。

もちろん、極限状態で最後にモノを言うのは、というのは確かにあるが、日常から求めすぎのような気がする。

 

戦い方のフレームワークとして、かつて「戦略・戦術・戦闘」というレイヤリングの話をしたことがあるが、気合・根性・覚悟が有効なのは、戦闘レベルの話まで。

史上最大に覚悟のある兵隊に竹槍を持たせたところで、遠くから機関銃で狙い撃ちするやる気のない兵士には勝てないのである。

 

戦略・戦術レイヤーで間違っているのを、現場の社員の頑張りでなんとかさせるのは無理筋なだけでなく、現場の優秀な社員の才能を無駄遣いし、更には心折らせて前線から離脱させているようでは、間違いなく戦には勝てないのである。

営業だって、商品力やマーケティング活動をなおざりにして営業の頑張り任せでは勝てないし、

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65901402.html

新規事業も起案者の思いだけでは立ち上がらないし、働き方改革だって、現場への掛け声だけでは上手くいくわけがない。

http://rss.rssad.jp/rss/artclk/H_001ldzULb0/fd246ab2952e31bf4bf5bc0c25b3ca28?ul=FssDKH7Y86gx8MkXITRXHuYEOYBi8iHf_jV9vNjedrqBKsjAFdM.zwFWrWCkF0okTc3_v4LfDr66c0rAY5dKNo.mrTcF3WWZ748odmekZEp5jsGDW3..0TTWdEIZUaH1mBD2z3o

 

かつての戦争で負けたのも同じ話で、日本は未だに総括と反省が出来ていない、という人もいるが、さもありなんと思わざるを得ない時は、戦後70年以上経た今でも確かにある。

最後の戦闘でモノを言うのは根性だけれど、それは一旦脇に置いておいて、もっと戦略や戦術をキッチリ詰めませんか?

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

思考には枠組みが必要

ものを考えるというのは、誰にでも出来ることだけれど、思考を「深く」していくのは、どうもコツがいるようである。

今日、外部講師をお招きしてのワークショップを運営したのだが、そこで「6つの帽子思考法」というのを展開いただき、場が盛り上がるだけでなく、議論の質も深まったし、参加者の満足度も高かった。

 

一応、解説のリンクを置いておく。

https://happiness.solutions/会議の場や考えるときにぜひ使ってほしい6つ.html

 

「6つの帽子」 に象徴される、6つの思考パターン(切り口)を、「帽子を被り直す」という程で意識的に切り替え、議論を進めていくという方法論である。

その場限りのワークショップという形式で、どうなるかなとも思いつつ、上手くいったのは前述の通り。

 

後ろで議論を見ていて、やはり思考や議論のためには、枠組みや切り口を持つのは重要なのだなと、改めて感じ入った。

むしろそれが無ければ、深い思考は出来ないといっても過言ではないくらいである。

 

小生が私淑するコンサルタントは、「枠組みが無ければ、3分考えた以上の結果には進めないが、枠組みがあれば、一週間考え続けることができる」と言っていて、まさにそれを目の当たりにしたといって良いかもしれない。

ちなみに小生は、切り口を二項対立で持っていることが多い。

 

ポジティブとネガテイブ、短期と長期、ミクロとマクロ、リーガルとファイナンス(二項対立ではないが)、等々。

他にも色々あるけれど、何れにしても、「枠組みが無ければ深い思考は難しい」と思うのだ。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

守破離

物事の上達には、守破離のプロセスがある、というのは、多くの日本人であれば聞いたことがあるのではないだろうか。

一応、解説のリンクを置いておく。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/守破離

 

小生、武道を25年も取り組んでいて、当然その道に入った初期から守破離の概念は知っている。

で、技のレベル的には冷静に言って「離」に向かっていて良いと思うのだが、守破離がわかっているかといえば、この文章そのものだが、あんまりわかっていない。

 

武道というよりは、日本の武術と言うべきだろうけれど、基本的に稽古と言えば、型稽古である(文字変換で型稽古がちゃんと出ないことにイライラする(笑))。

で、ひたすらそれを守っていくということは、守破離の「守」としてよくわかる。

 

しかし、幾多の天才たちが文字通り命をかけて作り上げてきた型を、破るという「破」がわからない。

どう考えても凡人の工夫が、歴史を超えられるとは思えないのだ。

 

型が要求する動きを「守る」事ですら困難なのに。

そう、ふと考えるのは、ただ見よう見まねの「守」の状態から、型の本質的価値を理解して、守りたくても守れない試行錯誤の状態を、「守れていない」という意味で、「破」というのかもしれない。

 

先人たちの叡智に近づこうという努力は、本質的価値を理解し、努力を続けている限りにおいては、その人に恵みをもたらすが、しかし残念ながら、永遠に「守」は達成されない。

「守」から入り、「守」を目指すものの、終ぞその本質には辿り着けない、つまり本質からは「離」れた状態にあることを、「離」と呼ぶ。

 

そういうことなら、個人的な実感とはフィットするし、武芸の道が求道の道になぞらえられるのも理解できるのである。

単純なステップ論で語れるほど、世の中簡単ではないと思う今日この頃である。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

正社員で居る意味とは?

朝のラジオで聞いたのだが、日本の女性の労働参加率というのは、世界的に見ても見劣りがするものではないらしい。

http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h27/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-02-04.html

 

求人が増え続けている中、労働人口も過去最大に近づき、女性と高齢者の就労が期待されるものの、実はもうポテンシャルがあまり無いのでは、というお話であった。

もちろんこの労働参加率には、非正規雇用も含まれているので、正社員を増やさなければならないのだ、という論点は残る。

 

で、正社員にするとして、それで劇的に意味があるのかというと、意外と限られてくるのではないかと感じている。

まず、給与の面だが、いま色々と議論されている流れを追うと、「同一労働同一賃金」が進む可能性が強いように思う。

 

そうなると、同じ仕事をしている限り、正社員になっても給与は変わらない。

では、雇用の安定が期待されるところだが、正社員でも切られるときは切られる(居られないようにする、という対応もある)わけだし、正社員の座に胡座をかいて、組織にぶら下がることを望む人というのも、多数派ではあるまい。

 

そんなことやあんなことを考えると、正社員で居る意味というのは、こんな感じなのではないだろうか?

・配置転換によって業務経験の幅が広げられる

・組織ヒエラルキーの上位に上がれれば、処遇と経験が広がる

非正規雇用では取り組めない、長期のミッションに関われる

・キャリア開発途上であれば、長期の視点でキャリア育成ができる

・会社の「中の人」としての帰属意識と、やっぱり簡単にクビにはならないのではという安心感が得られる

・社内政治の当事者として、色々楽しめる

などなど。

 

しかし裏を返せば、上記を提供できない組織にいる人や、上記そのものに価値を感じないキャリア感の人にとっては、正社員で居る意味というのは、あまり強くないのではないだろうか?

多様な働き方が求められる昨今、色々と振り返ってみてはいかがだろうか。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

本当に「失敗を許容しない」のか?

なぜ今の会社でイノベーションが起きないのか、という議論の中で、必ず出てくる原因の一つが、「失敗を許容しない文化」である。

減点法の評価をする会社・組織はよくあるし、そういう文化がある事自体は否定はしない。

 

しかし、それ故にイノベーションが起きないほど、失敗を強烈に許容しない文化なのだろうか?

寧ろ、勝手に失敗を恐れてチャレンジしなくなっているところに、原因があるのではないか、という疑問も持っている。

 

もちろん、失敗を許容しない部分があるから、チャレンジを恐れる作用はあるだろうし、チャレンジしなくなると失敗もしなくなるので、ますます許容しなくなるという、「ニワトリと卵」の相互作用はあるだろうとは思う。

とは言えどうなのよ、という話である。

 

ちょっとアングルの変わるのだが、若い人というのは、失敗すると「もうダメだ」という発想になりやすい。

上司からすれば、そんなの大した失敗ではないから、それで「使えない人間」という烙印を押すこともしないし、寧ろそれを学びとして成長してくれればいい、位にしか思っていない。

 

にも関わらず、若い部下の方は、勝手に「もうダメだ」と思い、ふさぎ込んでしまったり、突然退職の相談が来たりして、上司がビックリしたりする。

社会人経験がそれなりにある人であれば、共感いただける話なのではないか。

 

小生は格闘技が好きなのだけれど、大きな試合で、中途半端に腰の引けた試合をしてしまう選手は、結局負けてしまうし、次のチャンスもやって来ない。

たとえ負けたとしても、積極的にリスクを取って攻撃を仕掛けた選手については、必ず次のチャンスが有る。

 

もちろん負けないに越したことはないが、たとえ負けてしまったとしても、ちゃんと攻めて負けた選手については、そのリスクをとったリターンがあるものなのだ。

逆に、チャレンジをせずに負けてしまうと、評価も得られないし、どうすれば次に勝てるかという見通しも立たなくなってしまうので、全く次のチャンスが得られなくなってしまう。

 

なので、闘いの場に居る以上は、ちゃんと攻めようぜ、と。

偉くなったおじさん達だって、絶対何度か失敗してるんだぜ、と、おじさんはつくづく思う次第。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

「イノベーションとは未来の売上を作ること」

クライアントからの又聞きで恐縮だが、「イノベーションとは未来の売上を作ること」と仰っている方がいるそうである。

けだし名言である。

 

もちろん、イノベーションの価値を低く見ているとか、もっと非連続なものがイノベーションであるとか、色々ご意見はあると思う。

しかし、ともすれば日常の業務に「逃げ込み」がちな人間に対して、最初の一歩を踏み出させるキッカケになるという意味では、とても強力な言葉だと思うのだ。

 

小生は営業ばかりしていたから、生々しく思い返すのだが、デキる営業というのは今期の目標を貪欲に追求しながら、来期の種蒔きもキッチリできる人達のことであった。

得意なことで今期の数字を作りながら、新しい顧客、新しい商品・ソリューションも積極的に仕掛けていく。

 

その活動の中で、思いもよらない大きな案件の取っ掛かりができる。

何も大学の研究室やシリコンバレーだけでイノベーションが起きているわけではない。

 

日々の営業活動の中で、既に実践されていることでもあるはずなのだ。

これだけ世の中でイノベーションが求められ、奇手・妙手に着目される昨今だからこそ、あえて申し上げたい。

 

「あなたたちもやってきたでしょ?だから今まで生き延びてこられたんでしょ?」と。

イノベーションを特別扱いせず、通常の経済活動として、当たり前に取り組むのが正しいんじゃないですか?」と。

 

いま、日本企業の「イノベーション」は、新しいステージに来たと思う。

「目先の流行に付和雷同せず、自ら起こして来た、いままでのイノベーションの歴史を知り、自らの事業を"再定義"すること」がますます重要になるのだと考えている。

 

まぁ、ご参考ということで。