人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

本当に「失敗を許容しない」のか?

なぜ今の会社でイノベーションが起きないのか、という議論の中で、必ず出てくる原因の一つが、「失敗を許容しない文化」である。

減点法の評価をする会社・組織はよくあるし、そういう文化がある事自体は否定はしない。

 

しかし、それ故にイノベーションが起きないほど、失敗を強烈に許容しない文化なのだろうか?

寧ろ、勝手に失敗を恐れてチャレンジしなくなっているところに、原因があるのではないか、という疑問も持っている。

 

もちろん、失敗を許容しない部分があるから、チャレンジを恐れる作用はあるだろうし、チャレンジしなくなると失敗もしなくなるので、ますます許容しなくなるという、「ニワトリと卵」の相互作用はあるだろうとは思う。

とは言えどうなのよ、という話である。

 

ちょっとアングルの変わるのだが、若い人というのは、失敗すると「もうダメだ」という発想になりやすい。

上司からすれば、そんなの大した失敗ではないから、それで「使えない人間」という烙印を押すこともしないし、寧ろそれを学びとして成長してくれればいい、位にしか思っていない。

 

にも関わらず、若い部下の方は、勝手に「もうダメだ」と思い、ふさぎ込んでしまったり、突然退職の相談が来たりして、上司がビックリしたりする。

社会人経験がそれなりにある人であれば、共感いただける話なのではないか。

 

小生は格闘技が好きなのだけれど、大きな試合で、中途半端に腰の引けた試合をしてしまう選手は、結局負けてしまうし、次のチャンスもやって来ない。

たとえ負けたとしても、積極的にリスクを取って攻撃を仕掛けた選手については、必ず次のチャンスが有る。

 

もちろん負けないに越したことはないが、たとえ負けてしまったとしても、ちゃんと攻めて負けた選手については、そのリスクをとったリターンがあるものなのだ。

逆に、チャレンジをせずに負けてしまうと、評価も得られないし、どうすれば次に勝てるかという見通しも立たなくなってしまうので、全く次のチャンスが得られなくなってしまう。

 

なので、闘いの場に居る以上は、ちゃんと攻めようぜ、と。

偉くなったおじさん達だって、絶対何度か失敗してるんだぜ、と、おじさんはつくづく思う次第。

 

まぁ、ご参考ということで。