人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

基本と応用

合気道研究(立て続け)。

 

基本に続けて応用である。

マニア的にはコンプリートしたね。

 

「応用ねぇ・・・、まぁ応用といえば応用か・・・」という印象。

だが、基本と応用って何が違うんだっけ?というのはとても大事な問題である。

 

単純か複雑か。

うん、これはある。

 

メジャーかマイナーか。

これは無いわけじゃないけど、マイナーな練習ってなんだっけ、そんなのやる意味あるんだっけ、とは思う。

 

マイナーな攻撃パターンに対処できるようにしておくとか?

それはそれでマスターっぽいが、それを知らないと初心者はやられてしまう、というのであれば、なんか違う気がする。

 

プロトコルを身につけるためのものか、プロトコルを身につけていることを前提とした動きか。

これもある。

 

ただ、説明する側が色々端折れるというだけで、プロトコルを身につけていることを前提とした動きというのは「単純か複雑か」の複雑に含まれるような。

そこでまた疑問が生まれるのだが、なんで複雑な練習に取り組む必要があるのか、ということ。

 

原則と例外という分類のしかたも可能で、それは師匠も言及していたことではある。

こういう場合にはこうなるんだよ、みたいな。

 

ただそれは「メジャーかマイナーか」に類似していく話。

こういうのはどうだろう。

 

仏像を彫るとして、全体の形を作っていく、御仏の姿形を表していく一刀一刀が基本。

奥行きのある表情や華やかな仏具・飾りを生み出していくのが応用。

 

基本だけでも成り立つが、それ自体をより本質に近づけ、より特別なものにしていくのが応用。

そんなことを考えてしまったのだった。

 

あー、でもこれは、小生が合気道の理合いを極めてシンプルに捉えているからで、動きの高度さではなく、再現性の高さがレベルの違いだと考えているからだと、最後の最後に思った。

高度な動きがあると考える人にとっては、普通の動きか高度な動きか、という分類があるんだろうなと。

 

まぁ、ご参考ということで。