人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

茶帯でやめておく

以前、小生が通う合気道の道場に入門された方で、比較的年齢が高い男性の方がいた。

テンションが低く、そこがまた面白ポイントのおじさんだったわけだが、入門したての頃から「茶帯くらいでやめる」宣言をしておられた(実際は茶帯になる前にやめらたと思う)。

 

当時すでに20年くらい稽古を続けていた小生としては、その志の低さに衝撃を受けるとともに苦笑した記憶がある。

入門したてのうちから随分レベルの低いゴール設定だなぁと。

 

合気道茶帯というのは、ベーシック中のベーシックを何とか覚えたかどうか、という段階で、早ければ1年ちょっとで到達する。

ところが、である。

 

最近色々なトレーニングや武術研究をしてみて、なるほど思いのほか考えさせられる話だなぁと思い返すのである。

どうしても日本人や中国人の武術修行というのは、一つの道を一生かけて磨いていき、師匠の教えをひたすら守っていく、みたいなものがベースにあるから、三合目くらいで終える、という判断が信じられないのだけれども、一つの道を極めるというのは、他の道を捨てるということでもある。

 

その流派が考える「実戦」や、その反映と部分でしかない「試合」に、どんどんフォーカスしていくリスク、というのは結構大きいと思うのだ。

だとすれば、どんどんフォーカスしていくのではなく、新たなものを学びにいくべく、茶帯でやめておく、という見識は完全に否定されるべきものでもないと思う。

 

でも合気道の場合は、茶帯と言わずもう少し修行しても良いと思うんだけどね(笑)。

まぁ、ご参考ということで。