人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

キャリアは情熱を注げる対象を見つけた者勝ち

「努力は夢中に勝てない」という言葉は以前も紹介した。

けだし名言だと思う。

 

USJCMOだった森岡毅氏も、娘に宛てたキャリア論の中で、人生の中で情熱を注げるものをキャリアに、という話を語っていたと思う。

dai19761110.hatenablog.com

 

小生も本ブログで、就活時の自己分析は「自分がどんなものに情熱を注げるのか」を明らかにするためのもの、と書いた記憶がある。

そして、その対象が存在すると思えるからこその「志望動機」であるはずだ。

 

人事コンサルタントとして有名な曽和利光氏は、採用側は学生の取り組んできたことの表層だけでなく、習慣に注目すべきであると述べているが、習慣というのもある意味、ある行動に継続的に熱意を注いだ結果とも言えるので、同じ話ではなかろうか。

hrnote.jp

 

では、現実的に自分のキャリアで、情熱を注げるものを主軸に据えるには、どのようにすれば良いのか。 

何かにハマっていくプロセスから、援用できないものかと思う。

 

小生が最近ハマっていることといえばランニング。

十数年前に、流行り出したのを受けてなんとなく始め、温度の高低はあってもずっと習慣として続いている。

 

何が魅力かといえば難しいが、長距離を早く走り続けられる自分に誇りが持てるからだと思う。

出来ればそのレベルは上げ続けたいし、今後もその気持ちは変わらないと思う。

 

人生の中で、特に社会人になってから、スポーツに「する側」として接する機会は多々あった。

ゴルフ、フットサル、野球、 自転車(ロードレース)、ウェイトトレーニング…。

 

大人になってからだから、ある程度前向きな意思を持って臨んでいるし、武道の経験もあるので、ある程度継続しないと面白くならないことも認識していて、それなりに努力してみたのだが、どれも小生にとっては主軸にならなかった。

そんなことを振り返ると、情熱を注げる対象というのは、決め打ちで探しに行くというより、ある程度前向きに様々なものに取り組んだ果てに、「残っていく」ものなのではないか。

 

キャリアであれば、それが社会的な評価が高いことが望ましいのだが、何が残るかは、ちょっとコントロールはできなさそうである。

とはいえ、何より情熱を注げるのであるのなら、別に社会的な評価など(反社会的でさえなければ)良いではないか、というキャリア論もある。

 

その情熱の果てに、ひとかどの存在として名を成す道もあるのだし。

まぁ、ご参考ということで。