いつも思うことなのだが…。
苦手な人ほど、練習しようとしない。
「ニワトリが先かタマゴが先か」かもしれないので、練習しないから苦手なまま、とも言えるのだけれど。
他にも色々ある。
処理能力が高くない人ほど、一人で抱え込む。
わかっていない人ほど、質問しない。
偉くない人ほど、偉そうにする。
自信がない人ほど、強気になる。
だんだん書いているとブーメランになって飛んできそうだ(苦笑)。
しかも今日述べたいことともズレていく…。
小生の知る限り、仕事のできる人、特に優秀な経営者っていうのは、あらかた自分でなんでも出来てしまう人。
偉くなっても現場感が失われることなく、実務能力も持ちながら、経営者としての視座、構想を持っている人。
また脱線するが、そういう経営者を現場の人間が打ち負かすのは、ものすごく難しい。
能力が高い上に、視座まで高いのだから、勝てるわけがないのだが、優秀な人間が上に居るのが正しい組織なので、それはそれで良いと思う。
で、そういう優秀な人というのは、放っておいても自分でなんでもできるけれど、自分一人で取り組めることの限界も知っているからなのか、ある程度ハンドリングした後というのは、仕事を人にお願いもするし、ある程度理解したとしても、確認の意味も込めてその道のプロに質問にくる。
そうやって、大きな成果や正しい方向に近づいていくのだと思う。
そして、一人で抱え込む人、聞きに来ない人との差が、どんどん開いていく。
なんだかこう、助けを求められない人というのは、何かあるんだろうか…?
人に助けを求めるという発想自体がそもそもないのか、仕事ができないと思われたくないのか、自分でこねくり回したいのか、本人の中では責任感が強いのか。
でも、会社員である以上、仕事は協力して行うものだし、一人で抱えて成果が出なければ余計できない人認定されてしまうし、抱えて結果が出なくて周りに迷惑をかけたら責任もへったくれもないので、スタンスとして全部ズレているんじゃないかと思う。
小生は新卒で銀行に入った時、抱え込む行為自体を許されなかった。
それは、お金を扱う仕事特有の事情とも言えるのだが、常に相互監視できる状態で仕事をしなければ不正の温床になるので、「抱える≒やましい事情がある」と判断されてもおかしくない、という不文律による。
また、意外と支店はチームプレーなので(体育会と言うべきか)、一人が業務のボトルネックになってしまうと、全員に迷惑がかかるので、致命的になる前に「ごめんなさい」ができない人間は、本当に血祭りに会うのである(笑)。
そんな育ちをしているので、抱えたり助けを求められない人に遭遇すると、凄く気になるし、不思議に感じてしまうのだ。
小生にとっては物凄く明白な結論なのだが、そういうことをしない人が結構いるということは、助けを求めたり、わからないことを質問するのも、実は立派なスキルのウチなのかなぁ、なんて思ってみたり。
偉そうなことを言うつもりはないのだけれども。
まぁ、ご参考ということで。