人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

武道を学ぶものは、まずその心を学べ

そんなお題目は、正直あんまり信じていない。

「心を学びたいと思いまして」なんていう入門希望者がいたら、「嘘つけ!」と言って木刀で殴るシーンを想像してしまう(あくまで想像です)。

 

弱い自分をなんとかしたいから、誰かを見返したいから、そういう動機で武道を始める方が、本来自然だし、そういう人の方が、稽古の質も高くなり、自ずと上達も早くなる。

そんな方には小生だって、師匠から受け継いだ禁じ手の数々を、精魂込めてお伝えしたいというもの(受け継いでいるのかよ、というツッコミはスルーいただきたい。受け継いでいるので(笑)。)。

 

ではなぜ、そんな「お題目」が存在するのか?

それは、技術というものが、それだけの精神性を要求されるほど、危うく、脆いものだからだと思っている。

 

歴史上最高の達人でも、毒を盛られたり、高いところから転落したりすれば、あっさり死んでしまう。

長年修行を積んだ人でも、素人に負けてしまうことはある。

 

人間の技術は機械と違い、一度プログラミングしただけでは身に付かず、かなりの修練が必要で、尚且つそのパフォーマンスを常に再現できるわけではない。

その技術に絶対はなく、極めて危うく、脆いものなのだ。

 

だから弛まない努力と、常に学ぶ姿勢、謙虚な態度が「必要になる」のだ。

上達のために「必要」なのであって、心があるから学べるわけではない。

 

こういうことは、ビジネス一般やスキル、キャリアについても当てはまるのではないか?

比較的、精神論が横行しがちな国にいると思っているが、精神論ありきでキャリアアップができるわけではなく、卓越したパフォーマンスを求めようとすれば、自ずと仕事に対する向き合い方が問われる。

 

そういうものではないだろうか。

ちょっとふわっとした話で恐縮だが。

 

まぁ、ご参考ということで。