人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

具体的に、とにかく具体的に

就職活動、転職活動をしている人は、今日のこの記事は必読だろう。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO11768000X10C17A1000000/

 

新卒採用の模擬面接の模様であるが、本質は中途採用の転職活動も同じだと思う。

面接の場面では様々な質疑応答が繰り広げられるが、なんのためにやっているかといえば、お互いの「人となり」を理解するためだ。

 

たとえ成果を聞いたとしても、その会社で同じ成果が出せるとは限らなくて、結局どのような思考プロセスが背景にあるのか、事象へ向き合う姿勢を見なければ、採用側はミスマッチになりやすい。

逆にいえば、転職者の方は、その思考プロセス、姿勢を伝えなければならない。

 

伝わりやすさでいえば、それはエピソードなので、具体的なエピソードを通じて、とにかく具体的に、「人となり」を伝えていくことが重要だと思う。

まぁ、ご参考ということで。

たとえ三ヶ月であろうが、経験したことは大事にしたい

人間、環境が変われば、大なり小なりリセットされて、「学び直す」事になるものだ。

変わった環境が仮に前と似ていたとしても、目に見えない変化がたくさんあり、以前と同じ感覚で臨むと、大火傷を負うことだってある。

 

そういう意味では、常に虚心坦懐に、学び続ける姿勢が大事なのだが、さりとて、「いつも初学者」では、進歩がない。

新たな環境にまず適応する経験、その中で一定の法則を見出し、自らを変化させる経験、更に、周囲が出来ていないことを達成する経験。

 

そんなことは、たとえ三ヶ月くらいの短い期間の経験であったとしても、後々の大きな武器になっていく。

大事なことは、それらの些事を、自らの成功体験として整理をし、いつか使う武器や道具として、自分の装備品として、しまっていくことだろうと思う。

 

そして新しい環境に移った後、そこでその武器を振り回す必要はないが、自分の装備品だと何が使えるのか、道具をゼロから作っていかなければならないのか、そんなことを見極めながら、生き延びていけば良いのではないだろうか。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

大きなテーマから、小さなテーマへ

小生が銀行員になりたての頃、研修プログラムの一環で、社内の偉い人の講話を聞く、というのがあった。

その中の一つに、為替のトレーディングの偉い人(ディーリングだったかもしれない)のお話を聞く機会があった。

 

とっても淡々として、偉ぶったところもなく、「いかにもその世界でずっと喰ってきました」という感じで個人的には好感を持ったのだが、講話の内容は、ドル円相場の推移を、アメリカ大統領戦と絡めてレクチャーいただく、というものだった。

どちらが円安で円高だったか、というのも、もはや記憶が定かでないのだが、アメリカ大統領というのは、就任後すぐは、政治の安定を求め、対外債務の縮小・財政健全化に走るものだと。

 

そして、二年経過辺りから、二期目を目指して人気取りを始めるので、どちらかと言うと財政出動・バラマキに振れ、無事二期目当選となれば、一期目のスタートと同じことを繰り返す。

アメリカ大統領の場合、三期目はないので、二期目の後半は完全に人気取り(レガシーというやつ)に入っていく、と。

 

内容が正しいかどうかというのは、あまり意味がないと思っていて、大事なことは、実際にそのような「見立て」があり、一定の信用度で流通しているということ。

そして、その信用度が得られるほどに、やっぱり確からしい、ということだ。

 

その講話を聞いたのは、もうかれこれ18年前なわけだが、小生に鮮烈な印象を残している。

日々新聞やテレビで目にする数字の動きが、そのような遠い国の、「奥の院」の人事や心理に影響されるというのは、とても興味深いものであったからだ。

 

そんな身近な数字といえども、そこには経済の動きがあり、経済には国際政治が絡み、更にその裏には、泥臭い人間の心理があるのだ。

些細なことにも、考えていけば、大きな流れ、大きなつながりが存在しているのだが、人間はどうしても目の前の小さなことで考えを支配されてしまいやすい。

 

今起きている小さなテーマが、歴史、空間、人間の心の有り様など、どんな大きなテーマとつながっているのか、その講話以来、常に考え続けるようにしている。

極めてドメスティックな仕事を続ける毎日であるが、小生が国際政治のWatchを欠かさないのは、そのためである。

 

まぁ、ご参考ということで。

年収は上げようとしなければ上がらない

いきなり下品な感じで恐縮だ。

とは言え、これまで小生が出会ったビジネスパーソンで、年収を上げることに、わりと無頓着な人は多かったと思う。

 

年収を上げたいと思っていない訳では無くて、上がったら良い、上がって欲しいと思っているけれど、その為のアクションを取るかというと、あんまり取らない、という感じだろうか。

ご承知の通り、放っておいて年収が上がるようなご時世ではない。

 

外資系の転職の場合は、年収をあげに行く為の転職という文化だけれど、日本企業の場合、新しい組織に入るときは、「先ずしゃがむ」ということがまだまだ一般的。

これだけ人手不足でも、引く手数多でも、雇い入れるために今より年収をあげて引っ張り込む、というのは「当たり前」という訳ではあるまい。

 

なので、年収は上げようとしなければ、上がらない。

先ずもって、年収水準の高い会社を選んでいるか、という「出発点」に近い論点がある。

 

そして、年収に見合った成果を出しているか。

さらに、年収以上のパフォーマンスを出しているか。

 

会社が交渉に応じなければ、より良い待遇を外で求められるとか、そうでないにしても「余人をもって変えがたい」という存在感があるなどの、「交渉カード」を持っているか。

自分の年収を上げることで、組織に無用の軋轢を生まない環境か。

 

上がったら上がったで、それに見合うパフォーマンスを出し続ける見通しがあるか。

そんなことを整理した上で、きっちり主張すべし。

 

待っていても、向こうから「年収を上げて差し上げましょう」なんていう機会は、ほぼ無いのだから。

まぁ、ご参考ということで。

仮説構築<仮説検証

結構真面目な話。

新しい試みには、必ず「想定外」がつきもの。

 

だいたい今のビジネスシーンでは、ネガティブ面を防ぐことばかり議論になりがちだが、想定外に上手くいってしまうことだってある。

世の中で話題になったイノベーションだって、殆どが始める前からその成功を予測できた訳ではないし、始めてから進化した部分が山程あるのが普通だ。

 

要するに、未来を周到に予測するのは不可能なのだ。

やってみてわかる話、やった人にしか見えない世界というのは確かにあるので、予測を放棄することはナンセンスだとしても、「先ずはやってみる」というスタンスは強くオススメし続けたい。

 

しかし、結構なビジネスパーソンが、仮説構築にパワーを使いすぎて、「やってみる」の入り口である、仮説検証のところまでたどり着かないことが多いような気がする。

本来、仮説構築と仮説検証はセットとして、はじめて意味があるのだが、仮説構築で9割位パワーを使い切って、仮説検証の段階ではヘトヘトになってしまう。

 

はっきりいって、普通の人間が構築した仮説なんて、「事実」の前ではあっけなく粉砕し、むしろその粉砕のプロセスから得られる学びの方が、圧倒的に大きいものなのだ。

なので、個人的には、仮説構築3:仮説検証7くらいで丁度いいんじゃないかと感じている。

 

そんなこと言い過ぎると、「なんてテキトーなヤツなんだ」と思われそうなので嫌なのだが、実際そうだから仕方がない。

まぁ、ご参考ということで。

 

リスクに見合ったリターンがあるのか

転職相談で小生がほぼ100%口にするのが、「次の次はどうなるのか?」というお話。

目先の転職先は良いとして、その転職先に勤務した3年〜5年後にまた転職する際、どのような可能性が広がるのか、という議論である。

 

先日、こんな記事を読んだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/122700087/

 

大学発ベンチャーに必要なのは、経営人材である、という趣旨。

小生もエージェント専業時代に、大学発ベンチャーの経営人材の求人のご相談をいただいたが、なかなか難しいことが多かった。

 

予算に限りがあるので、大手出身者を大学発ベンチャーに給与面で引っ張ることは難しい。

一旦下げてもらうとするならば、将来取り返すチャンスが必要であり、さらに上手くいくかわからないチャレンジである以上、実際に上手くいけば、サラリーマンではあり得ないくらいの大きな果実が期待できなければ、本来バランスが取れない。

 

にも関わらず、既存社員とのバランスであるとか、出資者や各関係者の意向などもあって、上手くいっても大企業のサラリーマンレベル、という条件の話が多かったのだ(3ー4年前の話である)。

で、そんな「割りに合わない」賭けに乗って来る人材は、何らかの背景がある人、ということで、結局皆が不幸になるパターンもあった。

 

古い話だから、今のベンチャー界隈は違うのかもしれないが、それでもあえて話題にするのは、数多ある求人の中には、リスクに見合ったリターンが無いものが、まぁまぁ紛れ込んでいる、ということを伝えたいから。

どれくらいのリスクが取れるかというのは、個人によるので、そこをとやかく言うつもりはないのだが、バランスが取れていない案件については、そりゃ少し冷静になった方が良いのでは、と思わず口を挟んでしまいたくなるのである。

 

繰り返すが、「どれくらいのリスクをとるか」が問題なのではなく、「リスクに見合ったリターンがあるのか」を問うているのだ。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

労働相談に行ってみた

断っておくが、個人的な問題で駆け込んだわけではない。

クライアントとあるテーマについてインタビューすべく、ご一緒に突撃した次第。

 

相談内容はここにはもちろん書けないのだが、最後に相談員の方と雑談して得た情報をいくつか。

あくまで相談員の方個人の実感値であることをお断りしておく。

 

ここ数年のトレンドをお聞きしたのだが、労働相談のテーマは多岐にわたるものの、明快に言えることが一つあって、それは「解雇された、どうしよう?」という類の相談が減っているのだそうである。

残念ながら法令を遵守する企業が増えたわけではなくて、単純に人手不足で、その裏返しとして、「辞めさせてもらえない!」という相談が増えているとのこと。

 

もちろんこれに関しては、究極「会社に行かなければいい」だけの話であるので、一般的には解雇ほど悲壮な話ではないのだが、トラブルはトラブルである。

他に、変わらず多いのが、メンタルの問題。

 

主に40代くらいの方々からの相談が多いそうで、小生の実体験としても、さもありなん、といった感じだったが、あまり若い方は相談に来ないので、その年代が集中しているのかも、とのこと。

若い方は、来るとすれば、主に待遇改善の話がメインで、メンタルテーマでは少ないらしい。

 

現代的だなぁと思ったのは、正月などに実家に帰って働きぶりを聞き、心配した母親が本人にどうアドバイスしたら良いかを相談に来るのだそうである。

母心もわからないではないが、複雑な印象を持った次第。

 

働く方にとって関わりのあるテーマなので、取り上げさせていただいた。

最後に余談。

 

以前経済産業省の窓口にもお伺いしたが、こういう公的な窓口は、相談に対して的確かつプロフェッショナルな答えを提供してくれることが多いので、使わないと損である。

役所も色々動きがあって、以前よりずっと良くなっているので、久しくご無沙汰な方にもオススメしたい。

 

まぁ、ご参考ということで。