人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「なぜ」を問うのは限界がある

製造業の現場では有名な、「なぜなぜ分析」という手法がある。

ある事象に対して、「なぜ」という質問を重ねていくことで(通常は5回)、事象が起きた真の原因を探るというものだ。

 

ちゃんとした本だってある。

https://www.amazon.co.jp/なぜなぜ分析-実践編-小倉仁志-ebook/dp/B00HZGBQGY/ref=pd_sim_351_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=GC3WN696EAKJ5ZS74RJC

 

しかし、「なぜなぜ」には、やってはいけない領域もあると、個人的には考えている。

それは、人の気持ちに関わる部分だ。

 

「なぜその事業をやりたいと思ったのか?」「なぜ転職したいと思ったのか?」なんでも良いが、動機や背景、気持ちについて、「なぜ」を重ねられるのは、せいぜい2回だろう。

人間というのは、行動経済学を引き合いに出すまでもなく、極めて非合理な生き物である。

 

そこを論理で詰めても、大抵答えられないし、仮に答えられたとしても、間違った理由、こじつけの理由を引き出してしまうことになりかねない。

間違った理由を引き出してしまうと、その後のアクションを全て間違ってしまうことに繋がり、却って問題を生じる。

 

なので、「なぜかはうまく説明できないけれど、なんとなくこれが正しいと思う」という感覚を突き詰めすぎず、曖昧なことを曖昧にしておくスタンスも、時としてとても重要なのではないかと考えている。

きっちりビジネスに取り組んできた人にとっては、とても気持ち悪い話なのだが。

 

まぁ、ご参考ということで。