人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

文化が行動を支配する

今日は以前大変お世話になった、メーカーの品質保証のプロフェッショナルの方と三年ぶりに再会した。

現在その方は、いろいろな会社のコンサルタントとして、品質関連の改善に取り組んでいるそうなのだが、大変興味深いお話をお伺いした。

 

現在コンサルティングに入っている会社は、大手や大学の研究開発部門からオーダーをいただいて、小ロットの専用品に近い機器を製造するメーカーなのだそうである。

そうなると、常に沢山のモノを生産するわけではないので、製造・設計・原価低減の考え方やノウハウ、外注先へのオーダーの仕方など、なかなかレベルが上っていかないそうだ。

 

そして、その状態を「当たり前」として何十年も経営してきてしまうと、一般的な製造業では普通のアクションが、そもそも発想すらしない、という事になってしまう。

ということで、コンサルタントがガンガン現場に入っていき、改善させるポテンシャルが幾らでもあるということになる。

 

ところが、そういう「当たり前」は、企業の成り立ちから分け難く一体になった文化で、それが現場の一人ひとりの行動を支配してしまっているという実態があり、コンサルタントの指導することは、極めてベーシックですぐにでも実行可能なのに、なかなか現場は動けないのだそうである。

だからコンサルタントとして関わるのは、結果を出すのにとても時間がかかるのだ、というお話であった。

 

そのお話を大変興味深く伺い、小生が感じたのは、組織として新規事業を生み出すのも、同じではないかということ。

これに関しては、また機会を改めて申し上げたいが、新規事業は失敗の可能性を視野に入れて取り組むものだが、既存事業が強い会社は、なかなか失敗を許容することが難しい。

 

これはある種の企業文化であり、その文化は、組織全体の行動の隅々まで支配する。

なので、新規事業を成功させるというチャレンジは、ある意味組織の文化を変えるところまで視野にいれた仕掛けになるのでは、と最近考えている。

 

まぁ、ご参考ということで。

日本のサラリーマンの底力を見た!!

昨日は、クローズドな勉強会に参加して、某自動車メーカーの自動運転技術について、最新の状況を拝見する機会を得た。

この領域、昔ながらの日本の規制の厳しさや、海外事例の華やかさもあり、「日本のメーカーは大丈夫なのか?」と勝手に心配しておったわけだが、なんのなんの、研究の蓄積は数十年に及び、最新のプロトタイプも、「なんだもう出来てるじゃん」というレベル。

 

まだまだ研究の余地はあるものの、ある領域では、人間のペーパードライバーを完全に超えている。

厳しいレギュレーションにもかかわらず、その枠組みに乗っかりながら、なんとしてでも答えを出す、日本のサラリーマンの執念をそこに見た。

 

そりゃあ、規制を緩和する方が、みんなにとって自由に研究できる環境になるので、より良いものが生み出される可能性は高まるし、正しいアプローチだと思う。

しかし、その規制に文句を言うでもなく、それを所与のものとして結果を出す日本のサラリーマンは、本当に凄いと思う。

 

今日も、ある会社の社長プレゼンに同席し、プレゼンターの完成度に舌を巻いた。

様々なレギュレーション、限られたリソース、たった一回のチャンス。

 

そんな中で、その会社のプロトコルに則ったプレゼンテーションと、完璧に打ち返す質疑応答。

「そりゃ社長もオッケー出すわ」であり「久しぶりに良い仕事見させていただきました」である。

 

昨今、日本企業にポジティブな評価を下す言説は少ないが、いやいやどうして、日本のサラリーマンは凄いよ、と感動した次第。

もっと自由な環境を許してもらえれば、簡単に世界なんか獲れるんじゃないかと思うので、なんとかしたいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

人材の活用における大いなる無駄について

小生はカミさんの絶妙な配剤があり、子育てのいろいろな場面に噛ませてもらっている。

まぁ、親なのでそれは当たり前なのだが、ママ友たちとも結構親交がある(残念ながらパパ友はあんまり出てこない)。

 

で、ママ友にも専業主婦や働きながらの人も色々いるわけだが、「あぁ、この人デキるんだろうな」という方々に結構遭遇する。

子育てって、思いの外子供のためのイベントが多く、バックグラウンドが違う親子達を、イベントの実現に向けて一つの方向にまとめ上げるのが親の仕事だったりもして、関わる親のリーダーシップやプロジェクトマネジメント能力が問われる。

 

残念ながらまだまだ日本の子育てはママ主導なのだが、そういう場面で、「デキる」ママはいかんなく能力を発揮し、そばで見ていて本当に惚れ惚れする。

翻って日本の企業人の現場はどうか?

 

面従腹背のプレイヤー、方針が決められないリーダー、ビジョンのないマネジメント。

そうは言っても「ママの世界」はいろいろだが、企業人の世界も、実は大して違いはないと思うのだ。

 

この二つの世界の「デキる」人材の入れ替え戦が出来たら、世の中もっと面白いことになるのに、と思った三連休明けである。

まぁ、ご参考ということで。

駄目なら駄目と言うのも優しさのひとつ

なんというか、世の中色々と「優しい」人が増えてきているような気がする。

はっきりしたことを言うと、パワハラといわれるのではとか、不確実な時代の中で断定的な物言いもしにくい、という迷いだったり、あくまで発言した本人の自主性を尊重したい、という配慮もあったりするのだと思う。

 

しかし、立場のある人間が、部下に対してそのような配慮をしてしまうのは、時として害悪しか産まないのではないかと感じることもある。

部下になるような若い人間は、往々にして「生き急いで」いて、結果を渇望していることが多い。

 

そんな人間に、あえて判断を迷わせるような示唆をしてしまうと、混乱して大きなストレスになってしまう。

寧ろ明快に指示を出し、結果については上司が責任を負う格好か、やり方はほぼ任せて、本人への結果責任を問う、という状況の方が、嬉々として業務に邁進し、結果につながり、創意工夫の詰まった仕事になるのではないだろうか。

 

そのあり方の一つが、駄目な行い、アイデアに対して、はっきり駄目出しをしてしまう、ということでもあると考えている。

「もう少し深掘りしてみては?」「違う可能性も検討してみたら?」というツッコミは、優しいようで本人はかなり迷う。

 

本人も確信が持てず、「捨てるか」「残すか」という逡巡を繰り広げている中で、「もっと迷え」と言っているに等しい。

なので極端だが、「全然ダメ。金の匂いがしない。文句があるなら違うアイデアを持ってこい。」と言って、本人の迷いを断ち切ってあげるのも、マネジメントの大事な仕事だと思うのだ。

 

本当に可能性があるのなら、断ち切ってもどこかで復活するし、ダメなら所詮それまででしかない。

駄目なら駄目と言う、勇気が必要だが、その相手のために大事なアクション。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

「働く目標を持つこと。自分の意志で働くということ。」

少し時間が過ぎたが、今日はこの記事を共有したい。

https://www.businessinsider.jp/post-34789

 

泣く子も黙る(?)有名プロ経営者二人の対談である。

対談そのものは、20代〜30代に向けてとあるが、誰が読んでも良い内容だと思う。

 

働くってなんだ、という文脈の中で、タイトルの言葉が出てくる。

目標がなければ、そのための努力もないし、その努力を支える自分の意志も発生しない。

 

逆に自分の意志がなければ、そのための努力もないし、目標も生まれてこない。

そういう意味では、目標と意志は表裏一体ではないかと思う。

 

小生が20代〜30代の頃に、目標があったかと問われれば、記事の二人のようにあったとは言い難い。

一応、「仕事の上での能力を高める」というという意志だけはずっとあったが。

 

しかし振り返れば、その意志の先に「もっとこうしよう」という、当時はそれと意識していなかった「目標」が生まれた瞬間があり、一気に仕事が面白くなっていったのだと思う。

若い人が、いきなり「目標を持て」と言われても、簡単ではないだろう。

 

しかし、自分の意志を持つところから、目標が生まれることもある。

そうなればしめたもの。

 

今までと同じ仕事や環境が、一気に楽しいものに思えてくる。

どうせなら楽しく仕事をしたい。

 

対談の末尾にある通り、人生は短いのだから。

まぁ、ご参考ということで。

中途採用でリスクを負うのは誰か?

売り手と買い手をつなぐ、いわゆる「マッチングビジネス」という類型がある。

人材紹介業もそうだし、その他の転職メディアや不動産メディアの類もそうだ。

 

このビジネスの顧客は誰かと言えば、お金を出す側、人材紹介業であれば、採用企業である。

では、採用企業側に最適化したビジネスモデルにすれば、上手くいくかというと、そうならないところに、このビジネスの面白さと難しさがある。

 

片側を向いたビジネスを作っても、反対側も増えなければマッチングは起こり得ないので、結局は両面を向いたビジネスを作らなければならないのだ。

なので、「採用企業も、人材も」ということになる。

 

ちょっと面白いのは、所謂狭義のヘッドハンティングビジネスは、基本的に採用企業に向いたビジネスだと思っていて、一義的には「マッチングビジネス」ではないと言える。

で、「採用企業も、人材も」に戻るが、個人的な信条・心情としては、人材紹介業というのは、「顧客は採用企業だが、人材の為に頑張るビジネス」と捉えて取り組んできた(今はほぼやってないけど)。

 

異論があるのは承知しているし、顧客である採用企業にも申し訳ない部分は否めないのだが、中途採用でリスクを負うのは、やはり雇われる側・一個人の人材であり、リスクを負う側の立場で支援をしなければ、持続的に「採用企業も、人材も」という枠組みを構築できないと考えるからだ。

もちろん、ミスマッチが発生した時に、企業にだって手痛いダメージがあることは重々承知している。

 

しかし企業のダメージは、時間と新たな人材の採用で解決できるが、人材の失敗はずっと記録として残り、消えることはない。

もちろん、双方のためにミスマッチは万全を期して避ける努力をしなければならないが、更に人材にとって極力リスクをヘッジできる「建てつけ」をアレンジすることが、小生としてとても大事にしていることである(今はほぼやってないけど)。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

実体験で初めて気付かされること

最近、「電話が厄介だ」という論調が増えて来ていることをご存知だろうか。

https://www.businessinsider.jp/post-34949

 

小生の実体験としても、実際に電話の利用機会は減っている(仕事の電話と会食の予約の電話が同量くらいではないか?)。

メールは以前から変わらず使っているが、Facebookメッセンジャーskype、chatworkあたりで結構なコミュニケーションが片付いてしまう。

 

そうなってくると、リンクの記事の通り、実は「厄介な」ものだったのだなと気付かされ、ますます使わなくなっていく。

で、チャットやメールが主流になってくると、簡潔かつ正確に意図が伝わる文章を意識するようになるので、更に効率が上がっていき…という展開。

 

最近はもっぱら、相手との距離を縮めたい時くらいしか、こちらからは掛けないのではないだろうか。

小生が携帯を初めて持った20年前は、「流行りに乗って携帯買ったけど電話がかかって来ない」なんていう皮肉があったくらいだから、当時は「掛かってくれば嬉しいもの」だったのだ。

 

もし、チャットやメッセンジャーが生まれなければ、きっと今も電話は「掛かってくれば嬉しいもの」だったはず。

つまり、具体的な体験や物を見せられた時に、人は初めて今の状態に問題があることに気付かされる、ということである。

 

チャットを使わなければ、きっと電話が実は「厄介」であることを永遠に気づくこともなく、逆にチャットの利用体験無しに電話の「厄介さ」を語られても、きっと共感を呼ばなかったであろう。

昨日のエントリで書いた、市場調査の話にも繋がるのだが、新しい概念やニーズというのは、斯様に具体的なものを市場にぶつけて初めて顕在化する、ということが往々にして存在する。

 

机の前でウンウン唸ったり、それっぽいフレームワークで議論をすることには、限界がある。

なので、早期にプロトタイプ(チラシでも良い)を元に、市場の評価に晒されることが、とても大事なのだ。

 

まぁ、ご参考ということで。