人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

サービス品質は簡単には上がらない

今日は朝から大変であった。

用賀のクライアントのところで朝10時からワークショップのファシリテーターを務めることになっていたので、半蔵門線で向かっていたのだが、三軒茶屋で停電があって田園都市線が止まり、乗っていた半蔵門線も永田町で足止めを受ける。

 

全く動く兆しがないし、用賀は田園都市線しか通っていないので車移動しかなく、永田町でタクシーを捕まえた。

タクシーの運転手さんは、「用賀?用賀ですか…。」という感じで、車載ナビと私物であろうスマホを駆使しながら、なんとか目的地に向かう。

 

高速に乗るか乗らないかを聞かれたり、ナビを何度もいじりながら、結局雨で交通がマヒした246を渋滞の中移動し、最後はナビ通りぐるっと遠回りして到着。

定刻から15分遅れであった。

 

ワークショップを何とか終え、さぁ急いで戻らねば、という場面でも、田園都市線はまだ動いていない。

バスも間に合わなさそうだし、ちょっとウロウロして運良く地元のタクシーを捕まえた。

 

なんとなく話のわかりそうな運転手さんで、「とりあえず渋谷、いや、動いている電車の駅に着けば何処でもいい」という無茶苦茶なオーダーをして、とりあえず出発。

しかし引き続き渋滞は激しい。

 

そこで、「次の目的地は銀座か東銀座。なので銀座線の渋谷駅でもいいし、日比谷線接続の祐天寺でもいい」と再オーダー。

「では〇〇通りと××通りを通って日比谷線の始発駅の中目黒に向かいましょう。」という回答。

 

余所者には全くわからない裏道をグイグイ走り、渋滞からも脱出して無事に中目黒到着。

素晴らしくて料金を多めに払いたいくらいのリードであった。

 

往路の運転手さんが悪かったわけではない。

勝手のわからないエリアに向かうにあたり、最善を尽くしてくれたと思う。

 

しかし、復路の運転手さんのサービス品質は、地元で長年やっているから出来ること。

一朝一夕にものに至るものではない。

 

「サービス品質を高める」「付加価値を上げる」なんて、普通に口にするけれど、実際は簡単ではないなと、改めて思わされた出来事であった。

自戒を込めて。

 

まぁ、ご参考ということで。

公知化戦略

特許、知財の世界は奥が深くて、小生も聞きかじり程度の知識しかない。

新規事業の世界にいると、新しい事業とセットで特許を取りに行くのかと思われがちだが、実際は意外とそうでもない。

 

特許を取るということは、中身をオープンにするということ。

そうなると権利侵害されない形で真似をされるリスクも高まるし、真似してきた相手を訴えるためには、それを立証しなければならなくなる。

 

また、そうやって大事に守った権利だったとしても、あっという間に陳腐化するリスクとは無縁ではない。

そうなると、もはやオープンにしてしまい、先行したのは我々であると宣言するのがまぁ、公知化という話。

 

知財的にどんな意味があるのかというのは、ご専門に譲るとして(例https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6175988.html)マーケティングブランディング的には、秘密主義ではなく「我々が考えたんですよ」というメッセージを打ち出して行くことは、ライセンスのフィーで稼ぐより、ずっと大事なことではないかと思う。

イオニア、イノベーターとしてのブランド価値は、展開する商品全般にとってインパクトがある取り組みではないだろうか。

 

本ブログもそうだが、小生は仕事を通じて得た学びや気付きは、クライアントとの機密保持やプライバシーに抵触しない限り、ガンガンオープンにして共有して行くスタンスだ。

こんなご時世、ノウハウを隠し持っていたって、すぐに誰かがオープンにしてしまう。

 

他人にオープンにされるくらいだったら、どんどんお伝えしていき、聞いた方々が「誰に教わったのか?」と聞かれた時に、小生の名前を出していただければ、これ以上ないマーケティングブランディングの打ち手だろう。

昔では考えられないかもしれないが、今はそういう時代だし、それによって個人に光が当たる時代なのだとも思っている。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

面白いアイデアなんか、いらない

今、新規事業開発で何が求められているのか?

企業によってニーズは色々だろうけど、はっきり言って、「面白くて儲かる事業」なんて、ある訳がない。

 

いつだって新規事業は荒削りで、不確実で、よくわからないものなのだ。

成功事例の完成形だけ見て、「ウチもあんなことやりたい」というのは、気持ちはわかるが現実からはかなり遠いところにあると思う。

 

始める前から成功の可能性が感じられる、「面白くて儲かる事業」なんて、とっくの昔に誰かが考えて実行している筈だ。

なのに存在しないということは、それは「面白くて儲かる事業」じゃないということだ。

 

だいたい、構想段階に居る時点で、もう既に誰かがプロトタイプくらいは完成させていると考えるべきだし。

実際「あ〜、やられた〜」なんていうことは、小生のような仕事をしていると年に何回もあるし。

 

では、「面白くて儲かる(ように見えて実はそうじゃない)事業」や「既に出遅れているかもしれない事業」ではなく、何がいま求められているのか?

それは究極的にはビジョンであり、ミッションであると思う。

 

今の事業の延長に未来はないとした時に、企業は何処へ向かうべきなのか?

そのビジョンを企業は求めていると感じる。

 

新規事業が実現する世界が、この先のビジョン、そしてその新規事業そのものが、これからのミッション。

言い換えると、新規事業が実現する未来は、その企業が望む未来なのか?また、その新規事業は「やらねばならない」という使命感を感じさせるものか?

 

実際のところ、ビジョンは「こうなればいいよね」程度でもいいし、ミッションだって「確かにそれはやりたいね」というレベルでも構わない。

しかし、ビジョン、ミッション無き新規事業案は、「あー面白いねー」「よく頑張ったねー」という程度のものでしかない。

 

明日もまた、頭から煙が出るほど考えよう、と決意する夜であります。

自戒を込めて。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

周りの人はちゃんと見ている

真剣に考え、行動し、努力している人というのは、結果が出ていなくても周りの人はわかるものである。

周りの目を気にして、「こんなことを言ったらバカにされるんじゃないか?」「恥ずかしい」などと考える人は、まだまだ真剣じゃないんだと思っている(仕事の場面であれば、どんな形であれアウトプットを出そうとしないのだから、どのみちプロ失格だと思うのだが)。

 

社会人ホヤホヤの頃、ゼミの同期の何人かが司法試験浪人をしていて、それでも時々集まって飲んだりしたものである。

そのうちの一人が、浪人2年目に、一切の遊びを断つと宣言して(他の同期ともしょっちゅう飲んでいたわけではないが)、試験終了後に再会することになった。

 

1年ぶりの彼は、もうわかりやすいくらいスッキリしていて、そうは言わなかったが「ベストを尽くしたので結果がどうあっても構わない」という雰囲気満載であった。

当時の小生も、「あぁ、きっと受かるだろうな」と思ったし、実際その通りになったのである。

 

余談だが司法試験に合格し、修習期間を経ると、いきなりアシスタントがつく立場で社会人デビューをする。

言ってみれば、いきなり課長としてスタートするわけで、皆が皆課長になれるわけでもない中、実務経験ゼロでそのような立場となる以上、能力、知識など、相当な努力が必要だったのだなと、若き小生は腹落ちしたものである。

 

さて、古いエピソードを引き合いに出すまでもなく、真剣な努力というのは、周りの人間はだれか見ているもの。

たとえ結果が伴っていなくても、その評価は揺るがないし、努力したプロセスが失われることはない。

 

本人は全く前に進んでいる気がしないかもしれないが、いやいやどうして、側で見ている人間は、その前進をはっきりと理解できるものだ。

なので、辛くても諦めずに前進し続けたいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

多様性とビジョンと

今日はこの記事を。

https://www.businessinsider.jp/post-105785

 

サイボウズ青野社長の、働き方改革を巡るインタビュー。

中の方にお話を聞いたこともあるけれど、やっぱり凄い組織である。

 

別にぶっ飛んでいるわけではなく、「そりゃそうだよね」という正論をちゃんと形にしている印象である。

色々な働き方を認めること、しかしそこに集まるメンバーは、一つのビジョンのもとにあること、そんな風に読んだ。

 

同社の有名な制度に、最長6年の「育自分休暇」というのがあり、35歳までだったら外に出て(転職してもいいのかな)、自由にまた戻って来ていいという制度。

「外に出て、そのまま戻ってこなかったらどうするんですか?」という質問に対して、「戻ってこなければそれまで。そういう人を無理矢理繋ぎとめておく方がお互い不幸。」という回答を中の方からいただいたことがあるが(表現はもっと丁寧です!)、まさに「そりゃそうだよね」で、なかなか真似できるものではない。

 

多様でありながら、一つのビジョンに集っているからこそ、そういう風に考えられるのだと思う。

組織運営の究極ではないだろうか。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

努力なしに目標を達成することは出来ない

何を当たり前のことを、とおっしゃるかもしれない。

子供が生まれて、そこそこ育ち、今現在は勉強を教えるタイミングになって来た。

 

自分の子供だからもちろん、特別な才能があるわけでもなく、出来たり出来なかったり。

他の子と比べてもドングリの背比べ。

 

大人と違ってベースが白紙の状態で、生まれて初めて勉強の習慣を身に付けようとしているタイミングなので、極めて現象がシンプル。

やったことがある問題は解けるけど、やったことがない問題は解けない、基本はそれだけ。

 

そうなると、一定の目標をクリアする為には、とにかく勉強をするしかない。

そして間違いなく「努力は裏切らない」し、とにかく気持ちいいくらい伸びる。

 

ライザップグループに英語教室があって、そこはTOEICの点数を上げることに「コミット」するそうだが、やることは基本、ちゃんと勉強させること、だそうである。

曰く、点数を上げようと思ったら、ちゃんと勉強するしかないのだから、とにかく勉強してもらうんだそうである。

 

「他に方法は無いですよね?」と言われれば「そりゃそうですよね」としか言いようがない、シンプルで強力な論理。

しかし、大人になると、なんとなく「上手くやる」ことに意識がいって、愚直に努力することを怠りがちになるのではないだろうか?

 

子を育てながら反省しきりの今日この頃。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

転職組の時代が来た!

本当に転職組の時代が来たかどうかは、歴史の判断に任せるとして(いきなり逃げを打つ(笑))、最近大手のクライアント群から、「どうも最近活躍している人材を見ていると、中途が多い。うちのプロパーは大丈夫か?」というお話をチラチラ聞くようになった。

今は組織人事の仕事が主ではないので、「そんなことないはずですよ〜」的なリアクションしか取りようがないのだが、クライアントがそんな実感値を持たれる所以はあるようだ。

 

思うに、小生の本業そのものだが、これまでとは違う事業モデルへの進化が求められている中で、その会社の経験しかないということがデメリットになっている面があるということだろう。

中途社員は当然その会社以外の世界も見ているし、一緒に働いた仲間が外にいるというのは、とても視野が広まるもの。

 

小生なんかは、かつて在籍していた会社が事業再生になったことがあり、当時の大勢の仲間が色々な環境に転じていて、しかもその仲間とはSNSで日々繋がっている。

その繋がりにこれまでどれだけ助けられたことか。

 

そういう意味では、リクルートのOB・OGがそのネットワークでエコシステム(?)を構築しているのも、同じかもしれない。

転職は大変な目にも合うけれど(笑)、その経験を大いに生かしたいもの。

 

もちろん、転職したから必ず優秀なわけではないし、外の世界を知っているといっても、「外の論理」を振りかざすだけでは、今の組織で煙たがられるだけだ。

あくまでも「中の人」として、プロパーの人に尊重される「外の世界」の価値提供が肝要だと思う。

 

自分の立ち位置はあくまで「中の人」なのだから。

自戒を込めて(笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。