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「渋沢家三代」 読了 〜時代の産んだ傑物〜

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渋沢家三代 (文春新書)

渋沢家三代 (文春新書)

  • 作者:佐野 眞一
  • 発売日: 1998/11/20
  • メディア: 新書
 

 

 

ビジネスに関わる人間として、それも新規事業に関わる人間として、渋沢栄一を素通りするわけにはいかない。

日本の近代主要産業の立ち上げに関わった人物であり、今度一万円札の肖像になる人である。

 

その程度の認識しかなかったので、せっかくだからということで本書を手にしたのだが、本書はタイトル通り、渋沢栄一とその子、孫についての評伝である。

三代分なので若干長いのだが、スルスルと読める。

 

渋沢栄一については、もう歴史上の人物扱いとして敬称を省いてしまうけれども、どちらかというと英雄視する見方が多いと思う。

時流があったとはいえ、偉業を成し遂げたのは確かなのだが、本書を読むと家庭をあまり顧みることなく、やりたいことをやりたい放題やった面も浮かび上がる。

 

日本近代産業勃興と教育事業に生命を燃やした偉人ではないか、と言われればそうなのだが、その割には妾も婚外子もあちこちに居てとなると、小生としての人物評価は霞む。

その結果複雑な縁戚関係があり、それが後の代に不遇の芽を残したのだとすれば尚更。

 

こういう振る舞いって、現代のグローバル社会ではかなりネガティブなんじゃないかと思うのだが、それをこのタイミングで紙幣に掲げちゃうというのは何か横槍が入ってしまわないかと余計な心配もしてしまう。

それはともかく。

 

二代目は偉大な父親のプレッシャーからか、放蕩の限りを尽くして廃嫡となる。

若くして当主となった三代目は、当主の役割をこなしながらも本来の自分の夢を捨てずに私財を投げ打ち、結局戦後の財閥解体のタイミングで自ら渋沢家三代の家を畳んでしまう。

 

そういう意味では、三代続けて「やりたいことをやりたい放題やった」といえなくもない。

著者はそこに、日本人が失ったメンタリティを見るのだが、なんとも複雑な読後感を持った。

 

渋沢栄一と孫の残したものは偉大である。

しかしその家族たちは果たして幸せだったのかと思うと、偉業についてまわる犠牲者のように思えなくもないのだ。

 

なんとも、なんとも、である。

まぁ、ご参考ということで。