人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

ノーメンテナンスで継続できる人間関係は無い

今から10年くらい前、人材の仕事を始めた頃あたりからだろうか、こんなことを意識し出したのは。

直接のきっかけは覚えていないのだが、みうらじゅん氏の「親孝行プレイ

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E5%AD%9D%E8%A1%8C%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4

をテレビ(「タモリ倶楽部」?)で拝見して、確かに親子といえど、なんの働きかけもなくノーメンテでは色々あるわな、と感心して、我が身を振り返ったのがトリガーだったかもしれない。

 

それでもって人材の仕事に取り組んでいる状況もあり、「メンテナンスありき」の人間関係構築が始まったのだと思う。

グーグルカレンダーの繰り返し予定にフォロー計画を入れ、定期的な連絡を入れ、やりとりをし、記録を残す。

 

Facebookが普及してからは、友人にとって意味のあるだろう記事とコメントのシェアを続け、毎日誕生日のお祝いのメッセージを入れている。

もちろん、大切な友人だと思っているから続くのではあるが、基本的には、例えどれほど近い間柄でも、自分の都合起点でやりとりしていると、いずれ破綻すると思っているから。

 

「何か役に立てることはないかな」「喜んでもらえるネタはないかな」という発想の起点があるから、相手は関係を続けてくれるものではないだろうか。

ただ、これはやっぱり大変なところもあり、最大のポイントは、すべての人に同じようには出来ないということ。

 

どうしても優先順位は発生してしまうのだが、これはもちろん相手がこちらに好意を持ってくれるか、という要因も大きい。

この辺は、営業の顧客への優先順位付けと似たようなところはあるだろう。

 

話しやすい顧客だけど付き合ってはダメだし、重点顧客には出来る限りのフォローを行うけれど、相性の問題は必ずあるので無理しない。

そんな感じだろうか。

 

人間関係のメンテナンスは、最も身近な存在である配偶者にも当然及び、妻に関しては「最重要顧客」として、営業マンとして最大のフォローを行なっている。

この辺がもちろん夫婦円満の秘訣な訳だが(笑)。

 

そんなのが面倒だと思う人がいるのは十分認識している。

しかし、仕事でもプライベートでも、「人間関係」という意味では同じなのに、プライベートはノーメンテでも成り立つというロジックはあり得ないだろう。

 

ちゃんとメンテナンスすることが、良好な人間関係を築く唯一の方法であり、それが結局は、自分自身の幸福にとって、最もインパクトのある取り組みであるはずなのだ。

もはや習慣になりすぎて、別に功利的にやっている意識はないが、自分のメリット追及の為でもいいから、みんなやったらいいのに、と思う次第である。

 

まぁ、ご参考ということで。