人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「もう一つの幕末史」 読了 〜有為な人材は如何に見出されるか?〜

まずリンク。

 

日本史関係では結構有名な著者による一冊。

現代の日本で教えられている幕末史は、あくまでも政権を奪取した薩長の視点のものであり、それに対するアンチテーゼとしての歴史観を提示している。

 

この「歴史観」という言葉、普通に日本の学校教育を受けてきた小生にとっては、大学時代に「中国法」という単科の講義を受講したことで初めて理解し得たのだが、歴史というのは、あくまで当時の為政者が自己の政権基盤を正当化し、盤石にするためのフィクションという場合があり、そのような背景も踏まえての「歴史観」という用語であることを、まずは理解していただきたい。

本書の著者は、一般に流通する幕末史を、あくまで薩長連合から説明した歴史観とし、違う観点から説明することを試みている。

 

内容の是非は、ご一読いただいて判断してもらうとして、著者は勝海舟に対して特に強い思い入れがある。

思い入れのある著者からの勝海舟の伝記を聞けば、読者も当然感化されるものであるが、個人的に考えさせられるのは、勝海舟も含め、異端の人材が何故こうも幕末期に出現し、活躍したかということ。

 

思うに、時代の転換期というのは、「優秀さ」の定義が変わる時代だと思うのだ。

徳川太平三百年の中で存在しなかった逸材が、動乱期にあたって見出され、各々活躍するという事態は、むしろそれまでの尺度では優秀とされなかった人材が、社会環境の方が変わることによって活躍の場を得る、ということなのではないか。

 

偶然優位な人材が、幕末期に集中して発生するとは考えられないのである。

何故こうも幕末期に優秀な人材が排出されたのか、という問いを本書も立てているが、むしろ、たまたま社会の変換期にあり、それまでの尺度であれば埋もれていた人材に脚光があたったのだと考える方が自然ではなかろうか。

 

そんなことを踏まえると、今日のように「優秀さ」の定義が変わる時代においては、如何に多様な人材を抱え、時に応じて適した人材がリーダーシップを取るということが、どれだけ大事か、すなわち、結局は真の意味でのダイバーシティを構築することでしか、組織の競争優位性や成長性を確保する術は無いのだ、ということを思い知らされるのである。

幕末史が大好きなオジサマたちにこそ、現代の坂本龍馬を安直に待望するのではなく、真の意味でのダイバーシティの意味を理解してもらいたいと思う一冊であった。

 

まぁ、ご参考ということで。