型稽古を墨守することを是とする日本武術の伝統の中で、「自分の型」とは何を意味するのであろうか?
「我流」のレベルの話をしている訳ではないことは明らかだ。
武芸の英知は、一人の思いつき、我流のレベルで到達できるものではない。
では、改めて「自分の型」とは何か?
小生の見解は、問題提起、仮説設定&検証を経た、「解法アプローチ」が自分の型だと思っている。
武術の極意レベルは、現象として見ることはできても、その構造や本質を理解することは、極意レベルに到達した人間でなければ難しい。
極意レベルに到達していない人間は、結局のところ、よくわからないまま、何が問題なのかという問いを設定し、それに対する仮説を考え、それを持って問題を解いてみるという検証までのプロセスを繰り返していくことになる。
その中で、武術の本質を習得するに有益であるという仮説が、「自分の型」として残っていくのだと思うのだ。
故に、先達の残した型を頑張って稽古しても、そのプロセスを体感しない限り、実際は無駄になってしまうことが多い。
師匠は自分の教えた型を弟子に墨守させる一方で、自ら型を作れなかった人間しか伸びないという、矛盾した構造がそこにある。
さて、この話は、ビジネスでも共通のような気がしている。
小生の関わっている新規事業領域というのは、世に新しい物を問う仕事だ。
社会の現象というのは、「現象として見ることはできても、その構造や本質を理解することは、極意レベルに到達した人間でなければ難しい」。
故に、何が問題となっているかを考え、それに対する仮説を設定し、検証するというプロセスを踏まなければならない。
特に大変なのは、「何が問題なのか?」という課題を設定するところである。
世の中の仕事の殆どは、「問題解決」で成り立っている。
しかし「問題設定」には、全然違う頭脳活動が求められるのである。
ここは語ればキリがないくらい奥が深い。
ともあれ、武術の世界に戻って言えば、「何を稽古しなければならないのか?」ということ。
それをビジネスの言葉で柔らかく言えば、「アジェンダの設定」。
師匠の師匠の言葉を借りれば、「自分でアジェンダを設定できなかった人は、強くなりませんでしたね〜」といったところか。
まぁ、ご参考ということで。