ピアノつながりでこんな一冊。
ピアノの調律師になった若者の成長物語。
本屋大賞なんかも獲得したらしく、レビューが高かったものを日替りセールで入手して積読していた。
ピアノの音色そのものや、それに取り組む、関わる人間たちの姿勢の美しさ、真摯さを表現しようとした作品だと思う。
主人公は二十歳そこそこの男性という設定なのだが、元二十歳そこそこの男性である小生からすると、圧倒的にリアリティを感じなかった。
こんな純粋無垢で茫洋とした男子は居ないし、なのに「ギンガムチェック」を知っているというのは非常に違和感がある。
とはいうものの、何年ぶりかの小説・フィクションを読んでいることを思い出し、いやいや作品の価値はここではないんでしょうと考え直す。
物語だから表現できる人間の純粋さ、美しさ、そんなところに意味があるんだろうと。
師匠はかつて、「嘘も方便」という言葉を「真理に至るためのウソ」という説明をしてくれた。
勘違いしている人は多いのだが、武術における型稽古は実戦のシミュレーションではない。
実戦ですぐ使えそうな型もあるけれど、そこで拾えるのは何が起きるかわからない実戦のほんの一握り。
殆どが「方便」、技術の本質を掴むための実戦っぽい何か、の反復練習である。
フィクションにも、そこに人間の本質を現している点においては大いに価値がある。
それが「真理に至るためのウソ」という意味だと受け止めている。
明日は師匠の命日、お懐かしい。
まぁ、ご参考ということで。