人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

物語の価値

ピアノつながりでこんな一冊。

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)

 

 

ピアノの調律師になった若者の成長物語。

本屋大賞なんかも獲得したらしく、レビューが高かったものを日替りセールで入手して積読していた。

 

ピアノの音色そのものや、それに取り組む、関わる人間たちの姿勢の美しさ、真摯さを表現しようとした作品だと思う。

主人公は二十歳そこそこの男性という設定なのだが、元二十歳そこそこの男性である小生からすると、圧倒的にリアリティを感じなかった。

 

こんな純粋無垢で茫洋とした男子は居ないし、なのに「ギンガムチェック」を知っているというのは非常に違和感がある。

とはいうものの、何年ぶりかの小説・フィクションを読んでいることを思い出し、いやいや作品の価値はここではないんでしょうと考え直す。

 

物語だから表現できる人間の純粋さ、美しさ、そんなところに意味があるんだろうと。

師匠はかつて、「嘘も方便」という言葉を「真理に至るためのウソ」という説明をしてくれた。

 

勘違いしている人は多いのだが、武術における型稽古は実戦のシミュレーションではない。

実戦ですぐ使えそうな型もあるけれど、そこで拾えるのは何が起きるかわからない実戦のほんの一握り。

 

殆どが「方便」、技術の本質を掴むための実戦っぽい何か、の反復練習である。

フィクションにも、そこに人間の本質を現している点においては大いに価値がある。

 

それが「真理に至るためのウソ」という意味だと受け止めている。

明日は師匠の命日、お懐かしい。

 

まぁ、ご参考ということで。