人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

顧客体験が変わると、課金も変わる

今日、Apple Storeで実際にあった、やたら元気な店員のにぃちゃんとの会話。

小生が同社のイヤホンを付けていることを受けての流れである。

 

「お客様、何か有料音楽配信のサービス、使われてますか?」

「使ってるよ。Spotifyのプレミアム。ごめんね、Apple Musicじゃなくて〜」

 

「いえいえ、いいんです、全然。僕も仕事柄、一通りの音楽配信サービスは使ってるんですが、なんでSpotifyにされたんですか?」

「この間、Google Homeを買ったのよ。またApple 製品じゃなくてごめんね。で、そこに接続するサービスとして、Spotifyにしたの。Google playイケテナイし。更に、音声で検索するじゃない?そうなると、プレミアムじゃないと、色々不便なのよ。まんまと思う壺にはまったね。」

 

「ほー!ほー!そういうことがあるんですねー!!すごい勉強になります!!!」

「そんでもって、iTunesのアプリに、ナイキのランニングアプリがあるでしょ?あれはSpotifyのプレミアムと連携して、プレイリストを提供してくれる機能があるわけ。そうすると、いろんな場面で使えるから、まぁ当分プレミアムはやめないよね〜。」

 

「なるほど〜、サービスや体験がつながっているってことですね〜。出遅れちゃいましたね〜。」

「そうそう、そうなのよ〜。」

 

ってな感じ。

顧客体験を変え、それと同時に課金のモデルも作りあげてきたのが、Appleのこの10年の躍進だったはず。

 

同じ規模で展開するかはわからないが、いま別のプレイヤーが同じ事を仕掛けようとしている。

正に「イノベーションのジレンマ」だよね、と。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

独立できるキャリアを築く為には

みんな大好き(?)池上彰さんのこんな記事があった。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/111400033/?rss

 

人生100年時代に、どう50代を過ごすか、というテーマなのだが、結論的には、「外でも通用するように、ちゃんとやれ」という話。

すごく身も蓋も無い話だが、そのことの大事さを、池上彰さんらしく、わかりやすく丁寧に教えてくれる。

 

サラリーマンらしい、偶然の配属から自らの強みを見いだした話や、それが裏目になって目指したキャリアを諦めざるを得なかった話など、大変味わい深いエピソード満載である。

「社内飲み」で愚痴ってる暇があったら、外の世界に触れるなり、勉強するならの努力をしろ、というのは、正に仰る通り。

 

しかし、記事に対するコメントがまた、個人的には失笑してしまう。

時間が経過すると、別のコメントで埋まってしまうかもしれないが、小生が見た限り、「いやそれは池上さんの才能があったから出来たのだ」というものばかり。

 

「こらこら、何を読んでいたのだ?」という感じである。

「真面目にちゃんとやろうぜ」という話に対して、「出来ない言い訳」から入るなんて、いつから日本人はこんなに残念になってしまったのだろう。

 

努力する、ちゃんと勉強する、時間を大切にする。

そんな当たり前のことに言い訳する人達に、明るい未来なんかやってくるわけがない。

 

当ブログ読者の皆さんは違うと思うけれども。

今週もお疲れ様でした。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

潰すか、残すか

新規事業、イノベーション、なんてテーマに毎日取り組んでいることもあり、興味があって、富士フイルムコダックについて調べている。

もちろん論点は、富士フイルムは何故フイルム事業から撤退して生き延び、コダックは撤退出来ずに消滅したのか、ということ。

 

富士フイルムが何故撤退出来たのかでいうと、これはあまり語られることは無いのだが、撤退の意志決定をした2008年時点で、フイルム事業の売上構成比が20パーセントを切っていた、というのは大きいと思う。

デジカメの売上と合算で20パーセント未満だから、フイルム単体では10パーセント無かったかもしれないし、その売上も前年対比マイナス42パーセントだから、撤退の決断も、理解出来るというもの(とはいえ、創業事業からの撤退が簡単だったと言うつもりはない)。

 

逆に、何故そこまで売上構成比が低かったかというと、絶対王者コダックを前に、多角化せざるを得なかった歴史があるようだ(最終的にはフイルム事業でも勝つのだが)。

一方のコダックだが、売上に占めるフイルム事業の比率は、調べても出てこない。

 

経営学者の加護野先生によると、アメリカの企業というのは、株主の投資の道具という考え方があり、多角化を基本的に是としないそうである。

http://president.jp/articles/-/5806?display=b

 

多角化は株主の投資ポートフォリオで行うという考えだろうか。

で、あるならば、コダックのフイルム事業の売上構成比は相応に高く、撤退すれば会社そのものが消滅するから、撤退出来なかったのかもしれない。

 

いや、消滅することそのものが、撤退の意志決定であり、延命のための多角化は敢えて行わなかった、ということかもしれない。

そういう意味では、多角化は企業が生き延びる為の戦略として有効であるということだろうが、潔く潰して別の形で再出発するというのも、考え方としてはあるわけで、少なくともアメリカの投資家目線では、潰した方が正解なのだろう。

 

日本はウェットで、なんとか延命を図りたがり、それはそれで苦しかったりするし、アメリカはドライで、バンバン潰してしまい、失うものも多かったり。

難しい判断だが、正解は中庸にあるのだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。

 

武道を学ぶものは、まずその心を学べ

そんなお題目は、正直あんまり信じていない。

「心を学びたいと思いまして」なんていう入門希望者がいたら、「嘘つけ!」と言って木刀で殴るシーンを想像してしまう(あくまで想像です)。

 

弱い自分をなんとかしたいから、誰かを見返したいから、そういう動機で武道を始める方が、本来自然だし、そういう人の方が、稽古の質も高くなり、自ずと上達も早くなる。

そんな方には小生だって、師匠から受け継いだ禁じ手の数々を、精魂込めてお伝えしたいというもの(受け継いでいるのかよ、というツッコミはスルーいただきたい。受け継いでいるので(笑)。)。

 

ではなぜ、そんな「お題目」が存在するのか?

それは、技術というものが、それだけの精神性を要求されるほど、危うく、脆いものだからだと思っている。

 

歴史上最高の達人でも、毒を盛られたり、高いところから転落したりすれば、あっさり死んでしまう。

長年修行を積んだ人でも、素人に負けてしまうことはある。

 

人間の技術は機械と違い、一度プログラミングしただけでは身に付かず、かなりの修練が必要で、尚且つそのパフォーマンスを常に再現できるわけではない。

その技術に絶対はなく、極めて危うく、脆いものなのだ。

 

だから弛まない努力と、常に学ぶ姿勢、謙虚な態度が「必要になる」のだ。

上達のために「必要」なのであって、心があるから学べるわけではない。

 

こういうことは、ビジネス一般やスキル、キャリアについても当てはまるのではないか?

比較的、精神論が横行しがちな国にいると思っているが、精神論ありきでキャリアアップができるわけではなく、卓越したパフォーマンスを求めようとすれば、自ずと仕事に対する向き合い方が問われる。

 

そういうものではないだろうか。

ちょっとふわっとした話で恐縮だが。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

環境は実力の反映

転職の動機にしても、人間関係の愚痴にしても、自らの周囲の環境に対する不平不満というのは、誰しも感じるところ。

しかし、周囲を変えることは出来ないので、結局は自らが適合できるように変化するか、違う環境に移るかの二択になる。

 

仮に、今の職場の人達が微妙だったとする。

否定したり、文句を言いたくなるのはやまやまだが、まずはそういう人達に「雇われている自分」という状態は認めねばなるまい。

 

少なくとも、「外の人」からすれば、自分も「微妙な人達」と同列にしか見えない。

その状態で、周囲の問題点を一生懸命アピールしても、それはただの「イタイ人」である。

 

転職理由で、現在の環境のネガティブポイントを挙げてはいけない理由の一つがこれだ。

少なくとも「なんでこんなところで働いてるの?」と聞かれるくらいの実力は証明しないと、交渉は前に進まない。

 

証明したとしても、今度は「そんなに実力があるのに、そんな微妙な人達と働いているなんて、何か問題があるのを隠しているんじゃないか?」と思われてしまう。

その不信感を崩すのは相当難しいので、周囲の環境をネガティブに言うのは、やっぱりやめておいた方が良いのである。

 

なので、周囲の環境の問題は、第三者から伝えてもらうのが、比較的穏当なやり方である。

本人としては、前を向いたコメントを述べつつ、企業が裏取りでエージェントに確認し、エージェントから補足程度にコメントしてもらう、といった感じだろうか。

 

外の人というのは、シビアだが「環境は実力の反映」と見るもの。

なので、周囲をdisるのは「天に唾する」行為になりかねないというのが一つ。

 

もう一つは、そんな環境に長く居過ぎると、その程度の実力の人と見られるリスクがあるということ。

全然違う話なのだが、本当に自分に自信があるなら、そちらのリスクも気にしておいた方がいいと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

新規事業アイデアの見切り時

新規事業立ち上げの経験のある方ならお分りいただけると思うのだが、アイデアを検討していく中で、色々難しい局面に遭遇していくことになる。

難しい局面そのものは、粛々と潰していけばいいので、実はそんなに「難しく」は無いと思っている。

 

寧ろ本当に難しいのは、「これはダメだね」と見切りをつける決断ではないだろうか?

基本的には、難しいポイントをなんとかクリアすべく、あれこれアイデアを出していくのだが、それも限界があるし、よしんばなんとか組み立てられたとしても、成功するかはまた別の話。

 

このまま検討を進めるべきなのか、それとも一度リセットするべきなのかは、本当に悩む。

誰も正解は持っていないし、誰も責任を取ってくれないし、しかも大抵は時間との戦いにもなってくる。

 

正解はない中で、小生が暫定的な指針として持っているのは、下記の三つの質問のうち、社内外の方から一つでも指摘されたら、見切り時なのでは無いか、というものだ。

すなわち、

①「差別化のポイントは何か?」あるいは「○○となにが違うのか?」

②「なぜ当社がそれをやらなければならないのか?」「なぜやるの?」

③「本当にやりたいの?」

である。

 

それぞれの質問が提示される意味合いや、なぜこの三つなのかという解説は、またの機会にと思うが、この質問が出たら、新規事業案としては負けだと考えていて、すなわち「見切り時」になるのではないだろうか。

でも、それでも諦めきれない、ということはあると思う。

 

それを受けて、もう一度考え、ブラッシュアップを図るというのは、まずは良い。

しかし、ブラッシュアップした上で、もう一度、三つの質問のどれかを問われたら、本当に見切り時ではないか、というのが、小生の見解である。

 

もちろん異論はあるだろうし、小生もあくまで暫定的な見解ではあるのだが、「進むも地獄、退くも地獄」という場面は現実に存在するので、上記のような指針で諦めていただくのも、小生の大事な役割だと思っている次第。

まぁ、ご参考ということで。