人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

無駄を削るコツ

小生は仕事カバンを吟味するのが好きである。

モノに拘りがあるというより、より快適に仕事ができる道具を追求するというイメージである。

 

今の仕事では、PC及び周辺機器をはじめとする商売道具をフル装備で、朝の8時から7アポで2万歩の直行直帰、なんていうのも、ちょこちょこある。

そうなると、スーツ姿で異論はあるものの、仕事カバンはリュックタイプにせざるを得ない。

 

寧ろリュックで移動するから、それだけの活動をこなせるような気もしている。

しかしリュックというのは楽であるものの、使い続けると問題が発生する。

 

それは、気がついたらカバンがどんどん重くなるのだ。

量が入るし、負荷も大きくないので、あれもこれもと詰め込んでいくと、知らぬ間に無駄なものが一定のスペースを占めるようになっていく。

 

無駄が多いという事態は、これはまさに、ビジネスで最も避けるべき事態だ。

そんな時に、持ち歩いている荷物の見直しをするのは当然だが、本来的には無駄なものが入らないスペースのカバンにサイズダウンするのが正しい。

 

だって、定期的な見直しそのものが無駄だからだ。

ビジネスのいろいろな場面で、無駄の削減はよく求められるのだが、どんな活動・取り組みで削減するかではなく、無駄が出ないよう、「余白」を削るのが本筋。

 

余白があれば、気をつけていても、自然と無駄が発生するのである。

一応申し上げておくが、ワンサイズ小さいリュックを買う言い訳を述べているわけではない(笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

道具を持っているのと、使いこなせるのは違う

コンサルタントなんていう肩書きで仕事をしていると、流れ上(?)「それっぽい」話を求められる機会が時々ある。

戦略のフレームワークとか、各種カタカナ系ビジネスワードとか。

 

若い頃、陰鬱な意識高い系(笑)だった小生は、ビジネス系の書籍を、それこそ漫画から論文に至るまでかたっぱしから読んだので、知識としてはまぁまぁ理解していた方だと思う。

しかし、実際にそれを使ってビジネスをする立場になると、よく使うフレームワークや概念も自ずと絞られていくし、使っていくうちに、それらの本当の凄さを、理解していくことになる。

 

「本当の凄さ」というのは、その凄さの解説だけで、小一時間のワークショップが運営できるくらいの深みがある。

そういう本当の凄さを理解している道具を、実際の武器として持てているか。

 

それが「使いこなす」ということなんだろうな、と思っている。

上っ面の理解だけの人間を批判したいわけではないのだが、比較的手垢のついたフレームワークや概念は、その本当の凄さを理解した時に、真の価値を理解することができる。

 

まずはたくさん実戦で使ってみること、なんだけどね。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

危機感を持つ

はっきり言ってしまうが、結果に直結しない、本質から離れた作業を延々続けられる日本企業は、仕事のやり方を根本的に改められれば、再び世界一を狙えるんじゃ無いかと思う。

過去に、会社がいつ潰れるか、なんていう経験をした立場からすると(それとてたかだかサラリーマンとして、でしか無いが)、まだまだ余裕があるのだなと。

 

日々勿体無いなと思うのだが、そんな組織で働く個人も、批判や対外活動にやり甲斐を見出すだけでなく、この有り余るポテンシャルを、どうやって有効活用するのか、企ててみても良いのではなかろうか。

大事な一歩は、ちゃんと危機感を持つこと。

 

単なる現状否定や不満の裏返しではなく、将来予測を元に、「健全な」危機感を持ち、有志と共有する。

そのためのアクションを、如何に密かに、着実に形にしていくか。

 

何度か言及しているが、冨山和彦氏の言葉に、「危機的な会社ほど危機感が無い」というのがある。

これは本当(経験者は語る)。

 

会社が潰れそうになっても、修羅場は来ない。

脱力感が蔓延するだけ。

 

むしろ修羅場だったらこっちも燃えるのに、ってくらいだ。

素晴らしい経営をしている会社にお話を伺うと、大成功している現状に全く満足していないし、将来のリスクとチャンスに備えて、着々といろんなことに手を打っているものである。

 

優良企業ですらそうなのだから、いま状態が良かろうが、悪かろうが、危機感を持てない会社はどのみち危機に陥る。

そして危機に陥っても、脱力したまま消えていくのだ。

 

危機感というのは、持とうとしなければ、永遠に現れないものなのである。

あの脱力感、二度と味わいたくないものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

人間関係は引き継げない

長く営業の仕事をしていると、人事異動やらで前任者から顧客を引き継ぐこともあるし、自分が誰かに引き渡すこともある。

前任者からは、「このお客さんは関係性も取引も良好だったので、大事にするように」と申し送りを受けて担当を任され、プレッシャーを感じつつも、気合を入れて商談に望んだものである。

 

それでまぁ何とか関係性を良好に保ちながら、実績は作れるのだけど、いい年になって最近思うのは、顧客との深い人間関係というのは、結局は引き継げないんじゃないかと思う。

ビジネスのロジックで会話が成立するのは、はっきり言って当たり前だから、あえて言及する程の「良好な関係性」というのは、「ビジネスのシーンを超えてまで」というような、ある種の友人関係までを包含するレベルなのだろう。

 

だとすれば、プライベートでは友人関係を誰かに引き継いだりはしないので、そのレベルの人間関係は、人には渡せない。

小生も含め、それでも引き継げたパターンというのは、後任の人間が頑張って「初めまして」の状態から友人関係まで持って行ったからだろう。

 

それを踏まえると、特定のキーパーソンが、顧客との深い関係性でビジネスを成立させている会社というのは、結構継続が難しいということだ。

優秀なキーパーソンが作り上げた顧客との関係性は、誰にも引き継げないので、後に誰かが続くとしても、その人間が関係性をゼロリセットで作り上げなければならないので、優秀な人材を本気で採用し続けなければならない。

 

そんなことを踏まえて、長期戦略を作らなければ、そんな企業の永続的な発展は難しいだろう。

顧客基盤とは、盤石なようで、維持発展がとても難しいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

スキルよりも大事なこと

これは大事なことだなぁ、と考えさせられた記事がこちら。

https://full-count.jp/2017/06/22/post73350/

 

野球選手のエージェントが語る、上手くいく外国人選手とそうではない選手の違いについて、である。

折角なので引用してしまう。

 

活躍できる外国人選手の条件として、

「何よりも大事なのは、日本でプレーしたいという熱意があるか。誰かに勧められたからではなく、本当にプレーしたい気持ちがなければ、長続きはしません。文化や生活様式の違いを受け入れられるか、チームプレーヤーであるか、練習に真面目に参加するか。日本の球団に選手を売り込む時は、技術的な部分以上に、そういった精神面や性格面を重視しています。」

とのことである。

 

これ、転職も全く同じだと思うのだ。

ただ決まった時間に決まった仕事をこなすのではなく、少なからず「活躍したい」という意欲を持つのであれば、熱意とまでは言わずとも、自分の意志はあるのか、ということ。

 

そして新しい会社の文化を受け入れられるか。

真面目に練習し、チームプレーが出来るか。

 

それらが出来なければ、どんなにスキルがあっても、結局活躍の場がないのだから、無意味なのだろう。

他山の石として、自省したい。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

 

やるか、やらないか

新規事業というのは、不確実性へのチャレンジである。

当たり前だが、「やったことがない」から新規事業と言える。

 

昨今、お陰様でお仕事の引き合いが、市場空前に多くなっている。

ほぼ全ての日本の会社が、本業の劣化待った無し、だからだと思う。

 

こちらも最善を尽くして取り組むが、「やったことがない」ことの成功確率を高めるのは、自ずと限界がある。

せいぜい、「ギャンブル」を五分五分に引き上げるくらいだろう。

 

いや、五分五分というのも、言い過ぎかもしれない。

プロを名乗る以上、六対四くらいまでは最低限の目標としたいが、それはオーバートークというもの。

 

五分五分とは随分不確実な、と言われる向きはあるかもしれない。

しかし、それでもチャレンジするべきだと思う。

 

尊敬してやまない先達の言葉を借りれば、「新規事業は、成功は約束できないが、成長は約束できる」から。

仮に新規事業が成功しなかったとしても、それを通じて成長した人間が、組織の至る所に存在する、そのこと自体が企業の競争優位だと思わないだろうか?

 

真に新規事業が求められるこの時勢だからこそ、改めてその意義を問いたい。

頑張っても五分五分にしかならないのであれば、あえてチャレンジし、その経験を組織の力として取り込んでいく、「十年の計」に向き合うべきではないか。

 

すでに日本の組織は劣化が始まっている。

まだ投資できる余力がある今が、最後のチャンスだ。

 

目先の「儲かる、儲からない」ではなく、真の競争優位を築くべく、とことんチャレンジをしよう。

微力ながら、全身全霊を持ってお応えする所存である。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

対話を進める

社会人になってもう、結構な時間が経つのだが、昔から思っているのは、日本人というのは、本当にコミュニケーションが下手だなということ。

小生自身はもともと対人コミュニケーションに苦手意識があって、それをなんとか向き合って乗り越えてきた、という感覚がある。

 

苦労して身につけた立場からすると、未だに自信がないのだが、それ故に、普通の人を端で見ていて、そのコミュニケーションスタイルが気になるのである。

まず、愛想がない。

 

怒っているのか?と思ってしまうくらい愛想がない人が多い。

インド人もわりと笑わない方だと思うが、日本人の方が酷いのではないか。

 

それから、人の話を聞かない。

喋りっぱなしという人もいるが、相手の意見を受け止め、理解して、議論を発展させる、という意味において、人の話を聞ける人がとても少ない。

 

反対方向か、同一方向の意見をひたすら応酬するのではなく、角度を修正しながらも、双方の意見をベクトル合成のように結び、新たな視座を開くのである。

それができないのなら、そもそもコミュニケーションを取る意味がないと思う。

 

また、自らの役割を忘れて、素の個人として喋ってしまう人も多い。

組織長として、組織を推進する立場にあるはずなのに、「個人的意見」を連発して停滞させてしまう人は読者諸兄に心当たりがあるだろうし、会議でひたすら喋る人とか、引退後に現役時代の立場が忘れられない人も同じだ。

 

他にも、怒るとか、黙っていて後で反論するとか、色々あるけれど、何れにしても、対話相手の尊重と、対話を建設的に進めるための客観的な視点に乏しい人が多いような気がする。

出処が怪しい「ユダヤ商人10の教え」というのがあるのだが、その教えの一つに、「話す倍、聞け」というのがあろ。

 

個人的には、要するにこれではないかと思うのだ。

自分が話す倍、相手の話を聞くのが、尊重。

 

会話の量が偏ってないか、場をコントロールするのが、客観的な視点。

対話を進め、一人では辿り着けないところまで至るのが、コミュニケーションの本義を実現するアプローチとして、「話す倍、聞け」、いかがだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。