人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

鬼十則と働き方改革

色々あって(自粛)有名になった電通鬼十則

gigazine.net

 

「働き方改革」が謡われる人手不足の現代において、そぐわないのでは、という議論もされたが、改めて振り返ってみたい。

鬼十則というのは、一応記載すると、こんな感じだ。

  

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 

まぁ、仕事をしている人間からすると、わからんでもない。

社会人なりたての時に、「伝説の支店長」から脈々伝承されるメモ、みたいなのを配布されて、「なんでこんなに暑苦しいんだ?」とひいた思い出があるが、仕事を覚えるとだんだん理解できるんでしょう。

 

話題になった際は、「ブラックな働き方を助長する」的な意見があったと思う(特に5)。

ただこれ、長時間労働的な文脈じゃなければ、大いに「アリ」なんじゃないかと思う。

 

鬼十則を大きく分けると、パフォーマンスの追求(3,4,5,8,9)と、仕事におけるイニシアチブの確保(1,2,6,7,10)ということだと思う。

なんら問題ないんじゃないだろうか。

 

パフォーマンスの追求はそもそもプロとして当たり前だと思うのだが(ブラックですかね?)、仕事におけるイニシアチブは、むしろ積極的に確保しに行かないと、逆に長時間労働に振り回されるんじゃないかと、経験上思う。

かの会社では、結果的に、会社が求める過剰なパフォーマンスや、長時間労働することでしか関係者を巻き込めなかった実態が多々あったのかもしれないが、長時間労働とパフォーマンス、イニシアチブは本来関係なくて、むしろ逆相関の要素だってあるのではないだろうか?

 

そう思うと、自由な働き方で、粛々と結果を出す「鬼」がいてもいい。

むしろそこを目指すべきなんじゃないかとさえ思うのだが、時代遅れだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

 

 

 

今の時代感で仕切り直す

新しい事業の話をしているとよく出てくるのが、「かつて華やかだった何かをなんとかして復興したい」というタイプのテーマ。

考えている方の気持ちは痛いほどよくわかるし、小生も武道なんかやっているので、俄然サポートに燃えるタイプのテーマである。

 

しかしこれ、大変組み立てが難しい。

当たり前だが、衰退してきている以上、そこには「衰退の力学」が働いていて、ほとんどの場合それに抗うことは難しい。

 

そうなるともちろん、なんらかの仕掛けが必要になるのだが、その帰結は、一見同じだが別のもの、と言えるところまで至ることもあり、そういう意味でも評価が難しい場合もある(余談だが)。

仕掛けは多分二つあると思っていて、かつてのブームを支えたが年取ったユーザー向けにサービスを再構築するパターンと、事業は同じだが今伸びているユーザー向けにターゲットを再定義したパターン。

 

前者は、高齢者向け業態としてサービスを再構築し、一定の成功を収めたボーリング場がある。

後者は、(多分)共働き世帯にフォーカスして展開しているコインランドリーがある。

 

いずれも、伸びて停滞した業界だが、在り方を変えて再び成長している。

そんなような仕掛けが、とても大事だと思うのだ。

 

まぁ、ご参考ということで。

合コンの法則

タイトルは釣りではない(はず)。

これまた小生が駆け出しの人材紹介コンサルタントだった時に、仕えた上司に教わった話。

 

合コンのベストは三対三である、というもの。

二対二でも四対四でもいけない。

 

一対一はもちろん合コンではないが、二対二も幹事同士は知り合いのはずなので、出会いの機会としてはそれぞれ一人しか居ないので限定的だ。

では、なんで四対四がいけないかというと、それ以上の数になれば、場が「一対一+三対三」か、「二対二+二対二」に分かれてしまい、合コンとしての一体感が出ないから、とのことだ。

 

小生の数少ない(笑)経験値でも、それは確かにそんな感じがする。

現実的に、人間同士が一つのテーマで盛り上がることのできる限界人数が、大体五・六人ということなんだろう。

 

仕事柄、ワークショップを運営したり、チームビルディングのお手伝いなんかをしていても、チームの人数はそれくらいで回している。

考えてみれば、営業や企画系のチームや軍隊組織だって、五・六人が最小単位であることが多いし。

 

但し、ちょっと思うのは、五・六人はチームとして良い人数だと思うけれど、各人の参加意識や貢献度合いにはムラがあり、「濃度」としては薄いような気がする。

特に事業立ち上げや、スタートアップのシーンでは、その「濃度」では立ち上げきれないのでは。

 

立ち上げは、「ハッカー」「ハスラー」「ヒップスター」の三人が良い、という人も居り、それは小生も賛成するところ。

business.nikkeibp.co.jp

その方が、濃くてリズムがあり、盛り上がるミーティングになるような気がする。

うん、それって合コン前後に繰り広げられる、それぞれの「作戦会議」と「反省会」のノリだよね。

 

やっぱり合コンの法則かぁ。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

「やれなかった やらなかった どっちかな」みつを

タイトルでいきなり「なんじゃそりゃ」かもしれない。

相田みつをの有名な作品なのだが。

 

仕事の(人生の?)場面場面で、まぁまぁ大変な状況というのはあるのだけれど、実行不可能なところにチャレンジせざるを得ないということは、実は滅多にないのだと思う。

そんなのがやたらにあったら、もはや仕事とは言い難いわけで。

 

ということは、仕事で達成できなかったということは、たいていの場合、「やれなかった」のではなく、「やらなかった」だけなんだよね。

もちろん、間違った行動を指示されて「やらなかった」のは責められるべきではないし、「やらなかった」状況に陥ってしまった環境そのものに問題が潜んでいることだって、よくあると思っている。

 

とはいえ、イチ担当者としては、プロである以上、「やれなかった」のか、「やらなかった」のかは、常に問われているのだと思う。

かつて小生が人材紹介の駆け出しコンサルタントだった時に、当時の社長が「昔は毎日登録された人材の情報を、覚えるまでレジュメを読み込んだもの」という話を聞き、毎朝一時間早く出社し、最新の300人分の情報を、一生懸命暗記していたことがある。

 

その習慣が、当時の小生の業績を支えていたのだが、周囲の同僚は「すごいね」というだけで、真似する人間は一人も居なかった。

当時の小生は、みんな真似したらどうしようと心配していたが…。

 

一時間早く出社して、書類を見るだけの話であり、全く不可能ではない。

やってみれば極めて簡単なのだが、要は、やるか、やらないか、だけ。

 

ちょっとシビアな言い方だけれど、そういうものではないだろうか。

「やらなかった やれなかった どっちかな」

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

事業計画の加減乗除

新規事業構築にあたっては、一つのアウトプットとして、事業計画書が求められます。

「誰に」「何を」「どのように」、シンプルさを突き詰めれば、それが事業計画の本質ではあるのですが、企業の中では往々にしてその本質よりも、売上・利益計画や、投資金額と回収期間に注目が集まってしまいがちです。

 

なので、それらの数値計画については、丁寧に組み立てなければなりません。

とはいえ、新規事業の数値計画というのは、どこまで突き詰めても「やってみなければわからないこと」「未来を予測すること」でしかなく、過度に「確からしさ」を追求するのは意味がありません。

 

現実には、企業の管理部門などから過度な「確からしさ」を求められることがあり得るとは思いますが、そこは計画の前提条件と計算式を示した上で、当該管理部門と考え方についてすり合わせをし、ベスト、ミドル、ワーストの三シナリオを用意するくらいで、留めておくのが無でしょう。

論点になるのは、その「計算式」で、特に売上予測の元になるものは、色々議論を呼びます。

 

一般的には、ある商品の「単価×個数」という掛け算、さらに別の商品売上を加えていった足し算による、右肩上がりの売上計画が作られることが多いと思います。

もちろん間違いではありませんが、注意をすべき点があります。

 

「単価×個数」の計算式は、「この単価で顧客は本当に買ってくれるのか?」「買ってくれる顧客は本当にこれだけ存在するのか?」という問いをそれぞれクリアしていなければ、仮説に仮説を重ねた、「怪しい」計画になりやすいということです。

足し算についても、本当に期待通りに商品ラインナップを増やせるのか、増やしたものが予想通りに売れるのかという、仮説を更に書き加えていくパターンに陥りやすいと考えます。

 

そこで私が売上計画を考える際に、多面的に検証するためにお勧めしているのが、引き算と割り算です。

検討している新規事業のライバルとなり得るビジネスは何かを定義し、そのビジネスの売上をどれだけ奪えるのか、というのが引き算。

 

似たようなイメージですが、新規事業が満たすニーズの市場を定義し、その何パーセントのシェアが取れるのか、と考えるのが割り算です。

これらの考え方は、多面的な検討を進めることができるだけでなく、競合や対象市場を明確化するという意味もあり、事業案をより確かなものに近づけることができるのではないか、とも考えています。

 

事業計画の加減乗除、是非ご参考にしてみてください。

 

そこに愛はあるのか?

新規事業のお手伝いの仕事というのは、結構な割合で、「本業が厳しくなってきたから」という事情を背景にしていることがある。

もちろん新規事業をいかに立ち上げるかという観点でお手伝いするのであるが、社内で色々インタビューを重ねていく中で、「本業が厳しくなった」理由も、ぼんやりと浮かび上がってくるものである。

 

よくある理由の一つが、「ほんとはこういうの、ダメなんだけどねぇ〜」という現場の声に代表される、オペレーションの質の低下である。

業務標準の劣化とも言えるし、モラルの低下とも言えるが、環境の変化に現場のオペレーションが対応できず、そのまま「なぁなぁ」になっているだけなので、変えるのにはパワーが必要だが、現場では「正しい」とされていることを愚直に遂行することでしかなく、意外と簡単な気がする。

 

もう一つの理由が、社員の一人一人に「商品愛」「顧客愛」が薄くなってしまっているパターン。

「自分では買わない」「使わない」商品・サービスを、なんとなく売り続けていて、それが顧客の期待を裏切り続けているという自覚も忘れがちな状態に陥っている場合である。

 

これだけ物が溢れているご時世にあっては、消費者は「買う理由」、「必然性」を常に求めているのだと思う。

そういう中で、提供者側の「商品愛」「顧客愛」が感じられないものなど、絶対に買わないのではないだろうか?

 

もちろん、常に会社が、愛情をかけられる商品・サービスを用意できるわけではない。

金融商品の販売なんて、ヤクザな商売をやっていた小生は、その辺は良く分かっているつもりだ。

 

でも、難しい商品であればこそ、「それでも喜んでくれる顧客は誰か?」「商品ではなく自分を買ってもらえないか?」「組み合わせで何かを解決できないか?」といったような、「顧客愛」をベースにした戦い方はあるのではないかと思う。

最近ちょっと、現場から愛を感じられない場面に何度か遭遇してしまったので、ついつい僭越な物言いで恐縮である。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

総合格闘技で最も強い格闘技は?

武道を嗜む関係もあり、格闘技全般が好きである(見るのもやるのも)。

色々見てみたり、やってみたりして思うのは、格闘技にはそれぞれ、成立した背景と、発展してきたプロセス、現在のあり方が存在している。

 

格闘技で一番注目されるのは、どうしても試合になってくるが、その試合のルールにこそ、それぞれの格闘技のコンセプトが集約されている。

ボクシングにはボクシングの試合のルールがあり、レスリングにはレスリングの試合のルールがある。

 

それぞれのルールの中で、「強い弱い」「勝った負けた」を見極めていくのであって、違うルールの格闘技を並べて、「どちらが強いか」を議論するのは、実はあまり意味がない。

男子中学生の会話そのままで恐縮だが、だったら「何でもあり」のルールでやってみれば、より「実戦」で「本当に強い」格闘技がわかるじゃないか、という意見もある。

 

しかしそれとて、「何でもあり」のルールの中で、「強い弱い」「勝った負けた」という話でしかなく、それぞれの格闘技を修めた人が、それぞれ「何でもあり」のルールに、どれだけ上手に適合できたか、ということでしかないと思う。

「実戦」なんて、再現性のない場面でしか無く、素手で一対一で闘う場面自体が、大いなるフィクション。

 

何のことかと思われるかもしれないが、世の中にはいろんなルールで展開されるビジネスがある、という話だ。

新たな事業にチャレンジする時、新たな職務を任された時、それは例えば、これまでボクシングをやってきた人が、総合格闘技やキックボクシングのリングに上がることになったようなものである。

 

そんな時に、当たり前だがボクシングだけで勝てるわけは無いし、かと言ってボクシングを捨てても勝てるわけがない。

それぞれの新しいルールでは、何をもって「勝ち」「強い」と定義され、それを最短・最高のプロセスで実現するにはどうしたら良いのか、そのために今まで培ってきたリーソースをどのように活かせば良いのか?

 

そういったことを見極めて、アジャストできた人が勝利するのだ。

強い格闘技・流派があるのではなく、強い「人」が居るのだと考えている。

 

まぁ、ご参考ということで。