武術研究をライフワークとしてはや数十年。
最近心に残っている言葉として、極真会館の松井館長が述べられた「各流派にはそれぞれが考える『実戦』がある」というもの。
それぞれが考える「実戦」に基づき、技術体系が編まれ、「哲学」というか考え方が構成されている。
小生も合気道を嗜み、いくつかの格闘技を齧ってみて、実際その通りだなと思う。
それぞれの流派が、戦うということをどう捉えているのか、ルールやその流派の「常識」に反映され、それを元に日々修行に取り組み、それぞれにプライドを持っている。
そこでふと気づくのだが、これって学問に似ているなぁと。
物理学は物理学の理論を通して世界を探究し、法学は法律論を通じて世界を分析する。
どちらもこの世の真理の追求という意味では同じ目的で取り組んでいるが、やっていることは全然違う。
どちらが優れているという比較も意味がない。
それぞれの研究に取り組む個人を、特定の論点について議論させれば優劣はつけられるかもしれないが、それはその論点がどちらの学問に有利か、という要素が強くなるだけだろうし、結局その学問全体としての優劣はつけられない。
また、それぞれの学問にどれだけ取り組んだところで、ある角度から世界の真理に迫れることはできるけれど、全てを明らかにすることは難しく、どうしても限界はある。
複数の学問分野を収めたとして、世界を捉える視点を複数獲得することはできるかもしれないが、必ずしも融合させることは必然でもないし、シナジーを狙うことを前提とする必要もない。
そんなふうに考えたりすると、幾つもの流派に取り組んでみるのも面白いし、一つの流派に専念することの可能性と限界が腹落ちしたりして、むしろ落ち着いて取り組めるようになる気もする。
ちょっと進歩したかも。
先生、ありがとうございます…。
改めてお話ししたいなぁ…。
まぁ、ご参考ということで。