人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「カーナビ問題」

時々たとえ話として持ち出すのが、表記の「カーナビ問題」である。

仮に二つのカーナビがあったとして、どちらのルート案内の性能が高いかを検証したいとする。

 

そのために、二台の車に別のカーナビを乗せて比較したとして、その車を前後に並べようが、並走させようが、信号のタイミングや車線変更がある以上、全く同じ条件での比較とはならない。

数多く検証をこなしても、全く同じ環境というのは存在しないし、どこまでいっても相対的な優位性が導き出されるにすぎない。

 

まして、実際のカーナビの利用シーンというのは、一回こっきりのタイミングであることが多い。

そうなると結局、カーナビに求められるのは、カーナビそのものが備える信頼性、言い方を変えればユーザーにとっての納得感だ、とも言える。

 

キャリア上の問題に直面した時に、ナビゲートしてくれる色々な人たちが存在するけれど、自分のキャリアについて再現性はないし、取り返しはつかないしで、結局のところ、いかに納得感のある答えにたどり着けるか、いかに自分が納得するか、そんなところが大事なポイントになってしまうのだと思う。

それはそれは、生半な話ではないのだが、カーナビの例えを踏まえた上で、さて自分のキャリアを考えると、ナビゲーターに過剰な期待を寄せすぎていないだろうか、と思うのだ。

 

どこまでいってもナビはナビ。

数多く検証して、わずかに相対的優位が導き出されるものにすぎない。

 

まぁ、ご参考ということで。